
…ひとつの町のつながりをたどったら、さみしさは、かたまって見つかったにゃ。
こんなこと、ないにゃ?
さみしさは、ひとりの胸の中のもの。
そう思われがちにゃ。
でも、近しい人のさみしさが、
こちらにまで染みてくる感じも、
たしかにあるにゃ。
ひとつの町の何千人ものつながりを、
長い年月たどった記録があるにゃ。
アメリカ・マサチューセッツ州のフラミンガムという町では、1948年から、心臓の病気の大きな調査が続いているにゃ。はじめに参加したのは、町の大人の大半にあたる5,209人。1971年からは、その子どもたちと配偶者の5,124人も加わったにゃ。
心理学者のカシオッポさん、政治学者のファウラーさん、医師で社会学者のクリスタキスさん(2009年)は、この子ども世代の5,124人を中心に、人と人のつながりをたどったにゃ。平均すると64歳ほどの人たちにゃ。
手がかりは、検診の日を電話で知らせる係が使ってきた、手書きの記録にゃ。次の検診で連絡がつかなくても居場所をたどれるように、家族や親しい友だちの名前が書きとめてあった。小さな町なので、書かれた人の多くも調査の参加者だった。近所の人や職場の人は、住所や勤め先から割り出したにゃ。
こうして、1万2千人あまりの網ができたにゃ。
さみしさは、検診の質問紙の1問で聞いたにゃ。「先週、さみしいと感じた日は何日ありましたか」。4年ほどおきに答えてもらった、その日数を、網の上で照らしあわせたにゃ。
さみしい人とさみしい人の「そろい方」は、網の上で、どのくらい先まで見えたと思う?
さみしい人のまわりには、
さみしい人が多かった。
そのそろい方は、
友だちの友だちの友だちまで続き、
4人目で消えた
ここでいう「さみしい」は、とくべつな人だけのものではないにゃ。この町の人たちも、平均すると年に48日ほど、さみしいと感じた日があったにゃ。
そのさみしい日が、つながった人どうしで、そろって多かった。数字は「あなたがさみしくなる確率」ではなく、網の上でのそろい方の強さにゃ。
では、だれのさみしさが、本人のさみしさといちばん強く結びついていたと思う?
生まれたときから決まっているきょうだいより、自分で選んで、近くで会える友だち。研究者たちは、年を重ねた人たちのさみしさは、選んだつながりのほうと結びついていた、と書いているにゃ。
それから、女性どうしのほうが、男性どうしより強くそろっていたにゃ。
つながりの網を絵にしてみると、さみしい人は、まんなかよりはしのほうに多かったにゃ。
さみしいと答えた人は、
さみしくない人に比べて、
次の検診までに友だちが
8%ほど減っていた。
友だちとして名前を挙げられる数も、
自分から挙げる数も、
どちらも減っていた
さみしさは、つながりが少ないことの結果でもあり、つながりが減っていく原因でもあった、と研究者たちは書いているにゃ。
その一方で、さみしくない家族や友だちがひとり多いと、次の回のさみしさは少し軽くなっていたにゃ。ただ、さみしい人がひとり多いときのほうが、およそ2.5倍強くはたらいていた。
研究者たちはこの網を、かぎ針で編んだセーターにたとえているにゃ。はしの糸がゆるむと、そこからほどけていく。
さみしい人どうしが、近くにいる。その理由として、研究者たち自身が3つの説明を並べていたにゃ。
さみしい時期の人は、人を信じにくくなったり、つい当たりがきつくなったりしやすい、とこれまでの研究で言われてきたにゃ。そばにいる人も、その関係に満たされにくくなる。
それに、いっしょにいると、表情や声やしぐさを知らずにまねあって、気持ちまで寄っていく、という考え方もあるにゃ。「情動伝染」と呼ばれる理論で、1990年代に心理学者たちが本にまとめたものにゃ。
人は、自分に似た人と友だちになりやすいにゃ。さみしさを抱えやすい人どうしが、はじめから選びあっていたのかもしれないにゃ。
近所で物騒なことが続く、勤め先がなくなる、退職の時期が重なる。同じ出来事にさらされた人たちが、そろってさみしくなったのかもしれないにゃ。
研究者たちは、①がいちばん合うと考えたにゃ。手がかりは、つながりの向き。本人が「友だち」と名前を挙げた相手のさみしさは本人と結びついていたのに、相手のほうからだけ名前を挙げられていた場合は、はっきりした結びつきが見えなかった。同じ環境のせいなら、どちらが名前を挙げたかは関係ないはず、という理屈にゃ。
前の回のその人のさみしさを差し引いても、結びつきは残っていたにゃ。
この研究が出る少し前、アメリカの研究者たちが、わざと「うつるはずのないもの」で、同じ形の分析をしてみたにゃ。使ったのは、アメリカの中高生4,300〜5,400人の、友だちどうしの記録。調べたのは、ニキビ、頭痛、そして背の高さにゃ。
よく使われている分析のやり方だと、
ニキビも頭痛も背の高さも、
友だちから「うつる」ように見えた。
まわりの環境の影響を差し引くと、
どれも小さくなって、
はっきりしなくなった
背の高さが友だちからうつることは、もちろんないにゃ。似た人どうしが友だちになることや、同じ環境にいることを十分に差し引かないと、ただ「いっしょにある」ものが「うつった」ように見えてしまう、という警告にゃ。
別の研究でも、統計学者たちが、このさみしさの研究をふくむ一連の研究を読み直して「この分析から、うつるとは言えない」と批判し、つながりの向きのような手がかりを使っても、見ているだけの記録では「うつった」と「似た人が集まった」を分けきれない、と示しているにゃ。
網の上で、さみしい人どうしがそろっていたことは、記録のとおり。それが人から人へうつったのかどうかは、まだ決着していないにゃ。
研究の町は小さく、友だちの多くが同じ町に住んでいたにゃ。さみしさの答えは2000年ごろまでのもので、スマホもまだなかったころにゃ。
いまの日本の暮らしに置いてみると、見え方が少し変わるところがあるにゃ。
研究の「つながり」のもとは、居場所をたどるために書いてもらった、家族や友だちの名前だったにゃ。いまの暮らしなら、部屋を借りるときや入院のときに書く「緊急連絡先」の欄が近いかもしれないにゃ。
そこに親の名前しか浮かばない人も、少なくないと思うにゃ。研究の網の中でも、親しい友だちとして見つかったのは、多くの人でひとりだった。そして、さみしさと強く結びついていたのは、家族より、自分で選んだそのひとりのほうだったにゃ。
進学、就職、結婚。仲のいい友だちほど、気づけば遠くの町に住んでいるにゃ。研究では、1.6キロより遠くに住む友だちのさみしさは、本人のさみしさと結びついていなかった。
でもそれは、会いに行かなければ気持ちが届きにくかった町の話かもしれないにゃ。いまは離れていても、夜の電話や短いメッセージで、その日の声が届く。調査はそこまで聞いていないけれど、遠くの友だちとのあいだでも、さみしさも、ほっとする気持ちも、行き来しているのかもしれないにゃ。
しばらく元気のない友だちがいるとき、あなたはどうしがち?

近しい人がさみしそうなとき、
「自分まで引きずられそう」と
少し距離をおく。
自分がさみしいときは、
「こんな気分をうつしたら悪い」と
誘いを断る。
どちらも、相手を思っての
身の引き方にゃ。
網のはしでは、
その両方が起きていたにゃ。
さみしい人は、4年ほどのあいだに
友だちが減っていた。
名前を挙げられる数も、
自分から挙げる数も、どちらも。
手は、両側から少しずつ
離れていたにゃ。
それに、さみしさが本当に
うつるのかどうかは、まだ決着していないにゃ。
記録が見せていたのは、
さみしさがかたまっていたことと、
さみしくない家族や友だちが
まわりに多い人ほど、
次の回のさみしさが少し軽かったこと。
「うつさないように」と身を引くより、
いつもの顔ぶれの中に
とどまっているほうが、
この記録には合っている。
研究所のねこたちは、そう読んだにゃ。
そろっていたのは、
こちらが
友だちと呼んだ人の
さみしさだった。
向こうからだけ
名前を挙げられていたつながりでは、
はっきりしたそろい方は
見えなかったにゃ。
友だちのさみしさに、
こっちまで心細くなる。
それは気のせいというより、
その人を自分の友だちに
数えているしるし
なのかもしれないにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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