
…心と体は、どちら向きにも話していたのかもしれないにゃ。
こんな時期、ないにゃ?
さみしさは、心のこと。
だるさは、体のこと。
ふだんは、別々の帳面につけているにゃ。
でも、ほんとうに別々なのか。
何年もさみしさを抱えてきた人の血液を、
細胞の中まで調べた研究があるにゃ。
アメリカの医学者コールさんたち(2007年)は、シカゴで中高年の暮らしと体を毎年追いかけていた調査に目をつけたにゃ。参加していたのは50〜67歳の230人。毎年、質問紙でさみしさを測っていたにゃ。
その中から、3年続けてさみしさの点数がいちばん高い側(上位15%)にいた人と、いちばん低い側(下位15%)にいた人を、年齢や性別をそろえて10人ずつ選んだにゃ。
ところが6人は、血液から調べるのに足りる材料がとれなかった。残ったのは、さみしさの強い6人と、弱い8人。あわせて14人。平均で50代なかば、8割近くが女性だったにゃ。
調べたのは、血液の中で体を守る白血球にゃ。遺伝子そのものは、一生ほとんど変わらない。でも、どの遺伝子をどれだけ使うかは、そのときどきで変わる。レシピ本は同じでも、よく開くページが変わるようなものにゃ。
2万あまりの遺伝子について、その「開かれ具合」を一度に測って、ふたつの組を比べたにゃ。
さみしさの強い6人の白血球で、働きが強めだったのはどれだと思う?
働きにはっきり差が出た遺伝子は209。
炎症に関わるものは強めに、
ウイルスへの備えや抗体づくりに
関わるものは弱めに働いていた
暮らしの言葉にすると、体の中の備えの配分が、すこしちがっていたにゃ。病気が見つかった、という話ではないにゃ。採血のとき、風邪のような感染症の症状がある人は入っていなかったにゃ。
研究者たちは、ほかの説明を一つずつ外していったにゃ。落ちこみ、ストレス、収入、持病、飲んでいる薬。どれをそろえて計算し直しても、ちがいは残った。
つきあいの広さも調べていたにゃ。この人たちの中では、知り合いの多さと、さみしさの強さは、あまり重ならなかった。人数をそろえて計算しても、やはりちがいは残ったにゃ。その日たまたまさみしかったかどうかを除いても、同じだったにゃ。
もうひとつ、研究者たちが確かめたかったことがあるにゃ。炎症をしずめる役目のホルモン、コルチゾールにゃ。調査の3つの年に、3日ずつ、朝起きてすぐ・30分後・寝る前の唾液で測っていたにゃ。
さみしさの強い組では、炎症をしずめるホルモンの量はどうだったと思う?
しずめる合図の量は、足りていた。それなのに、その合図を受けて働くはずの遺伝子は、弱めにしか働いていなかったにゃ。ねこたちがいちばん首をかしげたのは、ここにゃ。
ホルモンは出ている。でも、受けとる細胞の側が鈍くなっていて、遺伝子まで「しずまれ」の合図が届いていないのかもしれない。論文では、細胞の遺伝子が合図を聞きとれていない、という言い方をしていたにゃ。長いストレスで、細胞がこのホルモンに反応しにくくなることは、それまでの研究でも報告されていたにゃ。
ただ、どこで届きにくくなっているのかは、この研究ではわからず、これから確かめることとして残されたにゃ。
コールさんはその後、さみしさだけでなく、暮らしの苦しさや、人の中での立場の不安定さなど、いろいろなつらさで同じかたむきが出ることを集めて、2010年代に「逆境への備えの反応」と名前をつけたにゃ。
大昔の危ないことは、けがのように突然来て、すぐ去るものだった。だから体は、傷に備える炎症を先に強める。いまの危なさは形がなく、長く続く。そのあいだ、備えをしまうきっかけがない。そういう見立てにゃ。たくさんの研究をつなぐための考え方で、すべてが確かめられた事実ではないにゃ。
コールさんたちは、自分たちの研究の弱いところも書いていたにゃ。人数が少ないこと。さみしさのいちばん強い人と弱い人だけを比べたこと。そして、どちらが先なのかわからないこと。体の炎症のほうが、人に向かう気持ちを下げているのかもしれない、と書いていたにゃ。
2015年に、同じチームが、年配の141人で、白血球の遺伝子の働きを5回にわたって調べ直したにゃ。
さみしさの強い人ほど、
炎症に強め・ウイルスに弱めの
かたむきが出ていた。
そして、このかたむきが強まったあとに、
さみしさが強まることもあった
向きは、片道ではなさそうにゃ。さみしさが体に届き、体の状態が、またさみしさを長引かせる。研究者たちは、輪のようにまわっているのかもしれない、と考えているにゃ。
別の研究では、「生きがいを感じている人ほど、このかたむきが弱い」という結果も話題になったにゃ。ただ、ほかの研究者たちがデータを見直して、その読み取りには無理があると反論していて、話はまだついていないにゃ。
コールさんたちの協力者は、2000年代のシカゴで暮らす、50代を中心とした人たちだったにゃ。
国も時代もちがういまの日本の暮らしに、この研究の中身を置いてみると、こんな場面が浮かぶにゃ。
ひさしぶりの同窓会。たくさん話して、笑って、ひとりになった帰り道で、ふっとさみしくなる。そんな夜があるにゃ。この研究でも、つきあいの広さとさみしさは、あまり重ならなかった。にぎやかな席にいても満たされない日もあれば、ひとりの部屋で満ちている日もある。白血球のちがいと結びついていたのは、人の数ではなく、感じ方のほうだったにゃ。
親の介護が始まって、気づけば友だちとゆっくり話すのは年に一度。そんな数年は、ひとりの夜にふっとさみしくなるのとは、別のものにゃ。研究が選んだのも、3年続けてさみしさが強かった人たちで、その日のさみしさの上がり下がりを除いても、ちがいは残っていたにゃ。気にかけたいのは、さみしい一晩より、さみしい何年のほうかもしれないにゃ。
熱のある日は、ふだん好きな人の話し声さえ、遠ざけたくなる。心が冷たくなったわけではなく、体の調子が、人に向かう気持ちを下げることがあるからかもしれないにゃ。2015年の研究のとおり向きが両方なら、さみしさの入口は、体のほうにもあるにゃ。だるさや喉の不調が長く続くなら、気分のせいと決めずに、お医者さんに診てもらう話にゃ。
さみしさが長引いているとき、あなたが手をのばしやすいのはどれ?

唾液で測った、炎症をしずめるホルモン。
さみしさの強い組でも、
量はほとんど変わらなかったにゃ。
体は体で、ちゃんと
「しずまれ」と言い聞かせていた。
届きにくくなっていたのは、
受けとる細胞のほうかもしれない。
そういう読み方だったにゃ。
さみしさが続いた年の体の重さを、
「気の持ちよう」と
自分に言い聞かせてきた人がいたら。
言い聞かせる声なら、
体の中でも、とっくに出ていたにゃ。
足りなかったのは、
声の大きさではなさそうにゃ。
とはいえ、14人の研究にゃ。
あなたの体の中がいまどうなっているかを、
この研究が言い当てるわけではないにゃ。
それより手もとに残したいのは、
向きが両方かもしれない、という話のほう。
さみしさをほどく手は、
人に会うことだけではなさそうにゃ。
よく眠れた朝のほうが、
だれかの顔を思い浮かべやすい日もあるにゃ。
さみしさと、体の重さは、
おなじ輪の
別の場所にあるのかもしれない。
ねこは具合が悪いと、
押し入れの奥にこもるにゃ。
こもっているあいだに
できることは、ひとつだけ。
押し入れの前に、
やわらかい毛布を一枚。
呼んでも出てこなかった子が、
いつのまにか膝の上にいる。
たいてい、体が軽くなった日のことにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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