
…手を動かす前とあとにも、家事はあったにゃ。
こんな夜、ないにゃ?
洗濯も、お皿洗いも、
前よりは分け合えている。
それなのに、
頭の中の「家のこと」だけが
止まらない。
その疲れを、
ちゃんと名前をつけて
調べた研究があるにゃ。
社会学者のダミンガーさん(2019年)は、アメリカ・ボストンの近くに住む35組の夫婦に、ひとりずつ別々に話を聞いたにゃ。みんな小さな子どもを育てていて、大学を出た、暮らしにゆとりのある家が多かったにゃ。
聞いたのは、ごはん、子どものこと、予定の段取り、お金、人づきあい……家のことを、だれがどう回しているか。
掃除や料理のように手を動かす部分だけじゃなく、その前とあとで、頭の中で何が起きているのかまで、ていねいにたずねていったにゃ。
男女の夫婦32組のうち、頭の中の家事を妻のほうが多く担っていたのは、どのくらいだったと思う?
頭の中の家事は、4つの段階に分けて整理されていたにゃ。子どもの歯医者で考えると、こんな感じにゃ。
「そろそろ、定期検診の時期かも」。言われる前に、要ることを見つけるにゃ。
土曜もあいている歯医者はどこか。予約はいつ取れるか。選べるものを並べるにゃ。
「じゃあ、この日にしよう」。
前の日に診察券を出しておく。ちゃんと行けたか。次はいつか。
妻のほうにとくに多かったのは、①と④。③の「決める」は、男女でほぼ同じだったにゃ。
わかりやすいのが、子どもの預け先を選んだときの話にゃ。夫たちも選ぶ話し合いには加わっていて、ちゃんと意見を持っていた。でも詳しく聞いていくと、候補を調べたのは、ほぼすべての家で妻だったにゃ。
決めるのはふたり。でも、決める席まで話を運んでくるのは、たいていひとり。①の「気づく」は、やることリストに書きこめない仕事にゃ。リストを作ること、そのものだからにゃ。
この研究で、頭の中の家事は「疲れるのに、やっている本人にも、相手にも見えにくい」仕事とされていたにゃ。だから、夫婦のけんかの種になりやすい。
ひとつの説明はこうにゃ。手を動かす家事には、始まりと終わりがある。お皿はきれいになるし、洗濯物はたたまれて、終わったことが目に見えるにゃ。
①の「気づく」と④の「見届ける」には、その形がないにゃ。お風呂でも、通勤の電車でも、ふと頭の中で動きだす。数えようとしても、いつからいつまでが言えないにゃ。「家のこと、半分はやってる」と「ほとんど私がやってる」が、どちらも本気で言えてしまうのは、このあたりに理由があるのかもしれないにゃ。
同じ夫婦たちの話を、別の角度から読んだ研究もあるにゃ(2020年)。平等がいいと思っているのに、実際はかたよっている。その食いちがいを、夫婦たちは「いまはこういう事情だから」と、その時どきのやむをえない都合として説明していたにゃ。
そう考えると、けんかは減る。でも、かたよりはそのまま残りやすい、と研究者は見ているにゃ。
35組の話は、ていねいに聞いたぶん、人数は多くないにゃ。数えてみたら、どうなるのかにゃ。
2024年に、アメリカで3歳くらいの子どもを育てる母親322人に聞いた研究があるにゃ。30の家事を、それぞれ「考える」部分と「手を動かす」部分に分けて、自分と相手のどちらが多く担っているかを答えてもらったにゃ。
母親だけに聞いた答えにゃ。30の家事のうち、相手のほうが「考える」まで多く担っていたのは、ごみ出しひとつだけだったにゃ。
もうひとつ、目を引く結果があったにゃ。手を動かす家事の多さは、気分の落ちこみやストレスとは結びついていなかった。結びついていたのは、考える家事の多さのほうだったにゃ。考える家事を多く担っている母親ほど、落ちこみやストレス、燃えつきた感じが強かったにゃ。ふたりの関係がうまくいっていないと答えやすいのは、どちらの家事でも同じだったにゃ。
一度に聞いた調べ方なので、どちらが先かまではわからないにゃ。それでも、頭の中の家事が「気のせい」で片づく軽さではないことは、見えてくるにゃ。
研究の夫婦も母親たちも、アメリカの家の人たちだったにゃ。いまの日本の暮らしに置き換えると、どう見えるかにゃ。
2017年に、住宅会社の調査から「名もなき家事」という言葉が広まったにゃ。トイレットペーパーがなくなったら買いに行く、郵便物をチェックする。小さな用事に名前がついたのは、大きな一歩にゃ。でも、その手前の「そろそろ切れそう」と気づく所は、まだ名前のないままかもしれないにゃ。
「今日なに食べたい?」「なんでもいいよ」。言う側は、合わせるつもりの優しさにゃ。でも聞いた側には、冷蔵庫に何があるか思い出して、候補を並べて、決めるところまでが、まるごと戻ってくるにゃ。反対に「カレーとうどん、どっちがいい?」に答えるのは、③だけ。研究で「決める」がふたりでほぼ同じだったのは、こういうことなのかもしれないにゃ。
食洗機やロボット掃除機は、手を動かす家事をずいぶん引き受けてくれるにゃ。でも、洗剤がそろそろ切れると気づくのも、フィルター掃除の時期を覚えておくのも、まだ人の頭の仕事。そこは、日用品の定期便や、予定表の「毎月くり返す」に預けられるにゃ。①の「気づく」を、人の頭からしくみへ、少しずつ移していく考え方にゃ。
だれかに「気づいて」と頼むのは、案外むずかしいにゃ。気づく役そのものを、ふたりの外に置いてしまう。そのほうが、言い合いにならずにすむ家もあるかもしれないにゃ。
頭の中の家事、いまのあなたがいちばん手放したいのはどれ?

「前の日でよくない?」に
うまく返せなかったのは、
言葉が足りなかったせいじゃないにゃ。
「気づく」も「見届ける」も、
いつ始まって、いつ終わったのか、
やっている本人にさえ
言えない仕事だったにゃ。
同じ見えなさは、
となりの人の側にもあるにゃ。
見えていないものは、分けようがない。
ずるさより先に、
見えなさが立っている家も
きっと多いにゃ。
研究の夫婦たちは、かたよりを
「いまはこういう事情だから」と
説明していたにゃ。
そう言えば、けんかにはならない。
そのかわり、頭の中の家事は
また、ひとりの頭の中へ戻っていく。
ねこたちの見立てでは、
この仕事がふたりのものになるのは、
声に出たときからにゃ。
「いま、来週の持ちもの考えてた」。
そのひと言で、見えなかった仕事が
はじめて、ふたりの間に置かれるにゃ。
母親たちの答えには、
ひとつだけ例外があったにゃ。
「考える」ところまで
となりの人が持っていたのは、
ごみ出しだけ。
収集の日は、町が決めているにゃ。
「そろそろ出さなきゃ」のそろそろを、
はじめからカレンダーが
持ってくれている家事にゃ。
気づく役が、
だれかひとりの頭の中に
住んでいない。
となりの人が考えるところまで
持っていけたのは、
そういう家事だったのかもしれないにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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