
…父も、彼も、弟も。「さみしくない?」に、段取りで答える人たちの話にゃ。
こんな会話、ないにゃ?
お父さんだけじゃないにゃ。
彼に「どう思った?」と聞くと、
起きたことが順番に返ってくる。
転職を決めた弟に「不安じゃない?」と聞くと、
「条件は悪くないよ」。
気持ちが、ないのかな。
男の人って、そういうものなのかな。
自分の気持ちが何なのか、見分けにくい。人に言葉で伝えにくい。気持ちより、外で起きていることの細かいところに目が向く。
心理学では、この3つが強いことを「アレキシサイミア」と呼ぶにゃ。もとは、体の不調で病院に来る患者さんたちのようすから生まれた言葉にゃ。
アメリカの心理学者レヴァントさんたち(2009年)は、それまでに男女の点を比べていた41のグループの結果を集めて、まとめて計算し直したにゃ。
多くは20問の質問票で、「自分がどんな気持ちなのか、わからないことがある」といった問いに、どのくらい当てはまるかを答える形。一般の人のグループも、病院に通う人のグループも入っていたにゃ。
男性と女性で、点の差はどのくらいだったと思う?
41のグループを通して、
男性のほうが少し高めという向きはそろっていた
差の大きさは、心理学で「小さい差」とされる目安ほど
一般の人か、病院に通う人かでは変わらなかった
差が小さいというのは、男性と女性の点の山が、ほとんど重なっているということにゃ。気持ちをすらすら言葉にする男性も、言葉にするのが苦手な女性も、たくさんいる。
「男の人だから、気持ちがない」と言えるような差ではなかったにゃ。
じつは、レヴァントさんたちは、はじめから大きな差は見込んでいなかったにゃ。考えていたのは、ふつうの男性の多くにある軽い言葉にしにくさで、病気と呼ぶようなものではなかったからにゃ。
この研究のもとには、レヴァントさん自身が臨床家として見てきたことがあったにゃ。
レヴァントさんは、父親のための講座を開いていたにゃ。気持ちが動くような場面を演じてもらい、そのビデオをいっしょに見返して「このとき、どんな気持ちだった?」とたずねる。すると、手伝ってもらっても、気持ちを見分けたり言葉にしたりできない人が少なくなかった。
病院に来た人たちではない、ふつうの父親たちにゃ。レヴァントさんはこれを「ふつうの男性に見られる、気持ちの言葉にしにくさ」と名づけたにゃ。
男の子は育つなかで、まわりの大人や友だちから、「こわい」「かなしい」を出すと恥ずかしいことのように扱われやすい。「さみしい」「会いたい」のように、だれかを必要とする気持ちほど、しまわれる。
いっぽうで、イライラや怒りは、男の子が出しても許されやすい。使わない言葉は、だんだん手もとから遠くなる。そういう見立てにゃ。
レヴァントさんたちは、子どもの気持ちの育ちを調べた研究を読み直して、こう整理しているにゃ。1歳ごろまでは、男の子のほうが女の子より気持ちを表に出している。それが2歳ごろには言葉で、学校に上がるころには表情でも、女の子に追いこされていく。
もしそうなら、気持ちが初めからないのではなく、出さないことを覚えていくのかもしれないにゃ。
どれも、臨床の場で見たことと、ほかの研究の読み直しから立てた説にゃ。生まれつきの部分がどのくらいあるのかまでは、まだ分けられていないにゃ。
時代が変われば、男の子の育てられ方も変わる。差も縮んでいるかもしれないにゃ。
2024年、スペインの大学のチームが、2004年から2023年までの120の研究、あわせて約8万9千人の結果をまとめ直したにゃ。
全体の差は、2009年とまったく同じ大きさ。小さいまま、縮んでもいなかったにゃ。
ところが、はじめに出てきた3つの中身に分けてみると、ひとつだけ、ほかとちがうものがあったにゃ。
男女の差がいちばん大きかったのは、どれだと思う?
冒頭のお父さんの返事は、ちょうどこの、いちばん差の大きかったところに重なるにゃ。気持ちが見分けられないというより、目が先に、外の段取りのほうへ向く。
それでも「中くらい」なので、当てはまらない男性もたくさんいるにゃ。
イギリスの男性500人あまりを調べた別の研究では、気持ちを言葉にしにくい人ほど、心の専門家に相談することに後ろ向きだったにゃ。何がつらいのか言葉にならないと、相談の入口で立ちどまってしまうのかもしれないにゃ。
レヴァントさんが講座で見ていたのは、30年以上前のアメリカの父親たちにゃ。いまの日本では、「男の子なんだから泣かないの」は、前ほど耳にしなくなったかもしれないにゃ。
それでも、20年分の研究を足しても差は縮んでいなかった。年代や国の文化によって差の大きさが変わることも、その分析は見つけているにゃ。言われる言葉は減っても、見て覚えるものは、まだ残っているのかもしれないにゃ。
お通夜の手配、お寺への連絡、親せきへの電話。身内を亡くしたとき、黙って段取りを引き受ける父や兄は多いにゃ。
外の出来事に目が向きやすい人にとって、段取りは、気持ちの置き場所なのかもしれない。「さみしくない?」には答えなかった人が、香典の帳面だけは夜おそくまで見返している。そういう形の悲しみも、あるのかもしれないにゃ。
気持ちを見分けにくいことには、気持ちと体の感じを分けにくい、という面もあるにゃ。「疲れた」「肩が重い」「よく眠れない」。気がかりも、さみしさも、腹立ちも、ひとつの「疲れた」にまとめて出てくることがあるにゃ。
もちろん、ほんとうに体が疲れていることもある。不調が続くなら、まず体を診てもらうのが先にゃ。
レヴァントさんの説では、イライラや怒りは、男の子でも出してよい気持ちとして残りやすかったにゃ。
親の病院の話になると口調がきつくなる兄、引っ越しの前の晩にやけに不機嫌な彼。外から見えるのはイライラでも、その下に「こわい」や「心配」がしまわれていることも、あるのかもしれないにゃ。
気持ちを聞いて、起きたことの話が返ってきたとき、あなたはどうしたくなる?

「気持ち、ないのかな」。
何度聞いても段取りしか返ってこないと、
そう思えてくるにゃ。
20年分、120の研究を足しても、
気持ちを見分ける差と、
言葉にする差は、小さいままだったにゃ。
ひとつだけ、ほかの倍ほど
開いていたのは、目がどこを向くか。
内側より先に、外を見るくせのほうにゃ。
そう思って聞き直すと、
返礼品の話も、明日の車の話も、
おばあちゃんのいなくなった毎日を
ちゃんと見ている目の、
向いている先なのかもしれないにゃ。
気持ちが、ないのではなく、
置いてある場所がちがう。
あの返事が、少しちがって聞こえてくるにゃ。
ねこたちが、ひとつ思いついたことにゃ。
「さみしくない?」の代わりに、
「おばあちゃんのあの煮物、
もう食べられないね」
気持ちの名前ではなく、
なくなった物の名前で話しかける。
返ってくるのが
「ああ、あれは甘すぎたな」でも、
それはたぶん、
お父さんのいちばん近い言葉にゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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