
…「結婚=息子の卒業」が、彼女の中では起きていないかもにゃ。
こんなこと、ないにゃ?
結婚して何年たっても、
息子を返してもらえてない感じ。
「私を敵だと思ってる」と思ったり、
「あの人がおかしい」と思ったり。
でも、もしかしたら
彼女の中では、
別のことが起きているのかもしれないにゃ。
子どもが家を出たあと、親がさみしさで落ち込むことを「空の巣症候群」と呼ぶことがあるにゃ。ひなが巣立って、巣がからっぽになる、というたとえにゃ。
カナダの社会学者ミッチェルさんたち(2009年)は、バンクーバーで、子どもが家を出た(出はじめた)親316人に電話で話を聞いたにゃ。イギリス系・中国系・南ヨーロッパ系・インド系の、4つの文化の家族にゃ。
聞いたのは「子どもが家を出たとき、とても落ち込んだと思いますか」。「少しだけ」「悲しかったけど落ち込みではない」という人は、「いいえ」のほうに数えているにゃ。
「はい、とても落ち込んだ」と答えた親は、どのくらいいたと思う?
3〜4人に1人。残りの7割ほどの親は、さみしさはあっても「落ち込んだ」とまでは言わなかったにゃ。
話を聞くと、子どもが家を出るとき、うれしさとさみしさを同時に感じていた親が多かったにゃ。
中国系はいちばん低かったにゃ。「アジアの家族だから」とひとまとめにはできないにゃ。
インド系の親たちには、「息子は家に残るもの」「子どもは結婚するまで家にいるもの」という慣わしがあったにゃ。その慣わしとちがう出方をしたときに、とくにつらかった、という声があったにゃ。
「子どもには、とくに息子には、出ていってほしくないものなんだ」と話す父親もいたにゃ。
毎日連絡をとる親で、いちばん多かったにゃ。でも、ほとんど連絡がない親も少なくなかったにゃ。
落ち込んだから連絡が増えたのか、もともと近かったから落ち込んだのか、この調査ではわからないにゃ。ただ、毎日の電話の向こうに、手放しきれない気持ちがある人もいそうにゃ。
1989年に、それまでの研究をまとめ直した論文があるにゃ。題は『空の巣症候群:神話か、現実か?』。
まとめによると、強く落ち込む女性は比較的少ない。強く出ても多くは一時的で、母親以外の役割に気持ちを向けられると、落ち着きやすいにゃ。
・母親の役割に深く入りこみ、自分のことを後回しにしてきた
・母親以外の役割(仕事・趣味・人づきあいなど)が、その時期に見つからない
・同じ時期に、ほかの大きな出来事が重なる
・子どもが、思っていたのとちがう時期に家を出た
ひとつの説明はこうにゃ。子育てに長い年月をかけてきた人にとって、子どもが巣立つことは、自分の役割がひとつ終わることでもある。そこに次の居場所がまだないと、さみしさが大きくなる。
バンクーバーの親たちも、ほかの役割や活動で忙しくしていたことが助けになった、と話していたにゃ。仕事をしているかどうかより、ほかに居場所があるかのほうが大事そうだったにゃ。
もし義母が、子育てを暮らしの真ん中に置いてきた人なら——息子が家庭を持つことは、彼女自身の人生の節目でもあるのかもしれないにゃ。
同じ研究チームは2015年、まだ子どもが家にいる親174人に、巣立ちの見通しを聞いたにゃ。
見通しを左右していたのは、その家の文化の決まりごと、親子の関係のよさ、住まい方の好み、それに家賃などのお金の事情だったにゃ。
巣立ちがつらいかどうかは、親の性格だけで決まるものではなさそうにゃ。その家が「子どもはいつ、どう出ていくもの」と思ってきたか。そことずれたとき、つらさが出やすいのかもしれないにゃ。
ただ、どちらもカナダの4つの文化の家族の研究で、日本の家族は入っていないにゃ。それに、母と息子にしぼった研究でもないにゃ。
大人になった子と親の関係を調べた別の研究でも、親子のつながりは、子が大人になっても形を変えて続くことが多かったにゃ。
バンクーバーの調査は2006〜07年。「会う以外の連絡」といえば、まだ電話が中心だったころにゃ。
いまは、スマホひとつで毎日でも連絡できるにゃ。義実家とのLINEグループがある家も多いにゃ。
電話をかけるより、スタンプひとつのほうがずっと軽いにゃ。毎日の連絡は、昔ほど特別なことではなくなったかもしれないにゃ。回数だけで、義母の気持ちの重さははかれないにゃ。
家族のグループでは、息子あての一言も、あなたの目に入るにゃ。昔なら夫の電話で終わっていたさみしさが、あなたの画面にも毎日流れてくる。しんどく感じるのは、ふしぎじゃないにゃ。
働きつづける人、趣味の仲間や昔の友だちとLINEでつながっている人も増えたにゃ。息子以外の居場所が見つかるかどうかは、いまの義母世代では、昔より人それぞれかもしれないにゃ。
義母からの毎日の連絡。いまのあなたは、どう受け止めたい?

とても落ち込んだ親は、3〜4人に1人。
ただ、のこりの親たちも、
子どもが出ていく日には、
うれしいのとさみしいのを
いっぺんに抱えていたにゃ。
結婚式で泣きくずれていたお義母さんも、
その両方の中にいたのかもしれないにゃ。
「おめでとう」と「行っちゃうのね」が、
ひとつの涙になっていた。
毎日の電話も、「この子の好物はね」も、
あなたに向けた矢というより、
まだしまえない「行っちゃうのね」
なのかもしれないにゃ。
バンクーバーの親たちの話から、
日本のひとりのお義母さんの胸の内を
言い当てることはできないにゃ。
ただ、昔の研究のまとめには、
こうも書いてあったにゃ。
強いさみしさも、多くは一時的。
母親以外の役割に気持ちを向けられると、
落ち着きやすい。
毎日の電話の向こうで、
彼女はまだ、次の居場所を
探している途中なのかもしれないにゃ。
電話で聞かれていたのは、
子どもが「家を出たとき」のことにゃ。
このさみしさは、
お嫁さんがいなくても
やってくるものだったにゃ。
子どもが出ていく理由は、
結婚とはかぎらない。
インド系の親たちの声にも、
息子が結婚より先に家を出た
つらさがあったにゃ。
あなたは、あのさみしさの
理由というより、
毎日いちばん近くで
それを見せられている人、
なのかもしれないにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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