
…あなたが「口を出された」と感じた日、義母は「入れてもらえなかった」と感じていたのかもしれないにゃ。
こんな感じ、ないにゃ?
悪い人じゃないのは分かる。
むしろ気を遣ってくれてる。
なのに、どこか落ち着かない。
「相性」と片付けてきたこのモヤモヤ、
立場のちがいから
来ているのかもしれないにゃ。
ケンブリッジ大学の心理学者、アプターさんは、イギリスとアメリカで約20年かけて、義理の家族についての話を集めてきたにゃ。話を聞いたのは、妻・夫・義理の母など、百数十人。それを一般向けの本(2009年)にまとめたにゃ。
たずねたのは、義理の家族とのあいだで、どんなことを感じてきたか。
嫁の側だけでなく、夫の側、義母の側にも話を聞いたにゃ。
「配偶者の母との摩擦が、長く続くストレスになった」と感じていた人。女性(夫の母について)と男性(妻の母について)で、どうだったと思う?
「私が我慢が足りないのかな」と思ったことがあるなら。
話を聞いた女性の半分をこえる人が、同じようなストレスを抱えていたにゃ。あなたひとりの話じゃないにゃ。
よくぶつかっていたのは、子どもの世話と家事。たとえば、離乳食の進め方や洗濯物のたたみ方のようなことにゃ。新しく家族に入った人と、長く家を回してきた人が、「どちらのやり方がいいか」でぶつかっていたにゃ。
そして、義母の側にも話を聞くと、ふたりはちょうど向かい合う気持ちを抱えていたにゃ。
どちらの側も、3人に2人。同じくらいの重さで、反対向きの気持ちを抱えていたにゃ。
長いあいだ、家を回してきた人にゃ。
「よその家のやり方に、息子や孫を持っていかれるかもしれない」という心配もあったにゃ。
これから、自分たちの家族のかたちを作っていく人にゃ。
口を出されるたびに、自分のやり方を否定された気がしていたにゃ。
あなたが「口を出された」と感じた同じ日に、義母は「入れてもらえなかった」と感じていたのかもしれないにゃ。どちらかの悪意の話じゃないにゃ。
「うちはこうしてきた」
「私たちはこうしたい」
この二つは、両立しにくいにゃ。
アプターさんの見立てはこうにゃ。家族の決まりごとや、おつきあい、義理の果たし方を取り仕切るのは、たいてい女性。だから、ぶつかるのも女性どうしになりやすい。
いちばんこじれた場合には、ふたりが「ひとりの男性の人生で、どちらが一番か」を争う形になる、とも書いているにゃ。片方にとっては息子、もう片方にとっては夫にゃ。
もうひとつ、関係そのもののあいまいさもあるにゃ。義母と嫁は、家族のようで家族でない、母のようで母でない間柄。
別の研究では、子どもが生まれると、実の母と娘は線が引きやすくなる一方で、義母と嫁はかえってあいまいになって、ぎくしゃくが増えていたにゃ。孫が生まれたころから急にしんどくなった、という人がいるのも、そのせいかもしれないにゃ。
じゃあ、嫁と義母はみんな、うまくいかないのかにゃ。
2006年に、互いに親族ではない嫁23人と義母19人に、グループや一対一で話を聞いた研究があるにゃ。
関係のあり方は、ひとりひとりまったくちがった。
「嫁姑は仲が悪いもの」という決めつけは、
当てはまらなかった
それでも多くの人が、好きと苦手の入りまじった気持ちを抱えて、家族の中の自分の居場所を探していたにゃ。研究チームは、その気持ちを相手に伝える力を育てることが、助けになるかもしれないと書いているにゃ。
ぶつかりやすい立場はある。でも、ぶつかるかどうかは決まっていないにゃ。
研究の聞き取りは、いまよりひと昔前の話にゃ。
いまの日本の暮らしに置き換えると、ぶつかる場所は、もっと身近なところにありそうにゃ。
育児の「当たり前」は、この30年でずいぶん変わったにゃ。義母の「うちはこうした」は、その頃の正解だったのかもしれない。あなたが調べたいまの正解とぶつかるのは、どちらかが間違っているからじゃなくて、時代がちがうからかもしれないにゃ。
研究でいちばんぶつかっていたのは、子どもの世話と家事だったにゃ。共働きで、お迎えや預かりを義母に頼む家では、その場所が毎週やってくるにゃ。助けてもらっているからこそ、やり方の話をしにくいこともあるにゃ。
義実家への連絡や頼みごとは、夫から。グループには写真だけ、相談は個別に。だれがどの窓を受け持つか決めておくと、「どちらのやり方か」を毎回その場で争わずにすむかもしれないにゃ。
「入れてほしい」と「入ってこないで」がぶつかる場所は、いまの暮らしにも、形を変えて残っているのかもしれないにゃ。
義母とのこれから。いまのあなたに近いのはどれ?

ねこたちがいちばん長く
ながめていたのは、
あの二本の棒にゃ。
嫁の「嫉妬されている」が、3分の2。
義母の「締め出されている」も、3分の2。
向きは反対なのに、
重さは同じだったにゃ。
ひとつの家の中で、
ふたりとも、自分の居場所が
細っていく気がしていた。
ねこたちには、それが
椅子取りゲームに見えたにゃ。
椅子がひとつ足りないと、
だれが意地悪をしなくても、
だれかが座れなくなるにゃ。
椅子にたとえたのは、
ねこたちの読み方にゃ。
聞き取りの中身を、
ほかの形で読む人もいると思うにゃ。
ただ、この読み方だと、
義母といると落ち着かないのは、
あなたの心がせまいからでも、
義母の性格のせいでもなくて、
座る場所が決まっていない部屋に
ふたりでいるから、になるにゃ。
もし、ひどい言葉や扱いが
続いているなら、
それは椅子の話じゃないにゃ。
信頼できる人やニャンタル、専門家に、
話してみてほしいにゃ。
足りないのは、
仲のよさじゃなくて、
名札のついた椅子
かもしれないにゃ。
孫が生まれると、実の母は
「おばあちゃん」の席へ
すっと移っていく。
なのに義母と嫁のあいだは、
かえってあいまいになっていたにゃ。
「お正月の煮物は、お義母さんの係」。
そんな名札が一枚あれば、
ふだんの台所の椅子は、
あなたの椅子のまま
残るかもしれないにゃ。
義母の椅子には、
どんな名札なら貼れそうかにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
📋 研究所のほかのレポートにゃ