父の葬式には、行かなかった。
訃報を聞いたのは、伯母からの電話だった。「お父さんが亡くなった」と。私は「そうですか」とだけ答えた。
「葬式は明後日だから」と伯母が続けた。
「行きません」
電話の向こうで、沈黙があった。それから、伯母は言った。「それでも親なんだから」
私は電話を切った。
父は、暴力的な人だった。酒を飲むと母を殴り、私を怒鳴り、弟を蹴った。理由なんてなかった。機嫌が悪ければ、それだけで暴力が始まった。
私は18歳で家を出た。それから一度も、父とは会っていない。母とも弟とも、ほとんど連絡を取っていない。彼らは父と一緒に暮らし続けた。それが彼らの選択だった。
葬式の後、母から手紙が来た。
「せめて顔だけでも見せてほしかった」「親不孝だ」「みんなに何て言えばいいのか」
読んで、破った。
親不孝?笑える。私の何を知っているんだろう。あの人が私に何をしたか、母は知っているはずなのに。
友人に話したら、「でも、死んだんだから」と言われた。「一度くらい顔を見てもよかったんじゃない?」と。
その友人とは、それ以来会っていない。
世の中には、「親だから」という言葉が多すぎる。親だから許すべき。親だから感謝すべき。親だから大切にすべき。
でも、私は思う。なんで?
親だって、ただの人間だ。間違いを犯す。人を傷つける。時には、取り返しのつかないことをする。それを「親だから」という理由で許さなきゃいけないなんて、おかしい。
父が死んで、もうすぐ5年になる。
後悔はしていない。葬式に行かなかったこと。最期を看取らなかったこと。全部、私の選択だった。
たまに、人に聞かれる。「ご両親は?」と。
「父は亡くなりました。母とは疎遠です」と答える。「それは大変ですね」と言われる。でも、大変なのは過去のことで、今は別に大変じゃない。
むしろ、楽だ。父がいない世界は、静かで、安全で、穏やかだ。
親を大切にすることが「正しい」なら、私は「間違って」いるのかもしれない。でも、それでいい。私は私の人生を生きている。誰かの期待に応えるためじゃなく、私のために。
もし、親との関係に苦しんでいる人がいたら。
距離を取ってもいい。連絡を断ってもいい。葬式に行かなくてもいい。それはあなたの自由だ。
「親だから」という呪いに縛られなくていい。あなたの人生は、あなたのものだ。
私は今、幸せに生きている。父のいない世界で。
それが、私の答えだ。
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