伯母の電話
ずっしり・4分

伯母の電話:父の葬式に行かなかった

匿名の娘・4分・ずっしり

父の葬式には、行かなかった。

訃報を聞いたのは、伯母からの電話だった。「お父さんが亡くなった」と。私は「そうですか」とだけ答えた。

「葬式は明後日だから」と伯母が続けた。

「行きません」

電話の向こうで、沈黙があった。それから、伯母は言った。「それでも親なんだから」

私は電話を切った。

父は、暴力的な人だった。酒を飲むと母を殴り、私を怒鳴り、弟を蹴った。理由なんてなかった。機嫌が悪ければ、それだけで暴力が始まった。

私は18歳で家を出た。それから一度も、父とは会っていない。母とも弟とも、ほとんど連絡を取っていない。彼らは父と一緒に暮らし続けた。それが彼らの選択だった。

葬式の後、母から手紙が来た。

「せめて顔だけでも見せてほしかった」「親不孝だ」「みんなに何て言えばいいのか」

読んで、破った。

親不孝?笑える。私の何を知っているんだろう。あの人が私に何をしたか、母は知っているはずなのに。

友人に話したら、「でも、死んだんだから」と言われた。「一度くらい顔を見てもよかったんじゃない?」と。

その友人とは、それ以来会っていない。

世の中には、「親だから」という言葉が多すぎる。親だから許すべき。親だから感謝すべき。親だから大切にすべき。

でも、私は思う。なんで?

親だって、ただの人間だ。間違いを犯す。人を傷つける。時には、取り返しのつかないことをする。それを「親だから」という理由で許さなきゃいけないなんて、おかしい。

父が死んで、もうすぐ5年になる。

後悔はしていない。葬式に行かなかったこと。最期を看取らなかったこと。全部、私の選択だった。

たまに、人に聞かれる。「ご両親は?」と。

「父は亡くなりました。母とは疎遠です」と答える。「それは大変ですね」と言われる。でも、大変なのは過去のことで、今は別に大変じゃない。

むしろ、楽だ。父がいない世界は、静かで、安全で、穏やかだ。

親を大切にすることが「正しい」なら、私は「間違って」いるのかもしれない。でも、それでいい。私は私の人生を生きている。誰かの期待に応えるためじゃなく、私のために。

私は今、幸せに生きている。父のいない世界で。

それが、私の答えだ。

― 匿名の娘

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