捨てない理由を三つ考えて、三つとも途中で崩れた。
一つ目は、感熱紙だからそのうち字が消える、というもの。書いてすぐ、それは捨てる理由のほうだと気づいた。二つ目は、家計の記録として。去年の十月の家計簿を、私はつけていない。三つ目は、まだ言葉になっていない(言葉になっていないものを理由の数に入れていいのか、という問題は残る)。
それで今、レシートは電子レンジの上にある。
今日の昼。
押し入れの天袋から、衣装ケースを下ろした。ふたのマスキングテープに、私の字で「秋・うわぎ 11/29」とある。
いちばん上の灰色のカーディガンを広げて、袖を通す前に、右のポケットに手が入った。四つ折りの紙が出てきた。
駅前のスーパーのレシートだった。去年の十月二十四日、金曜日、二十二時十三分。
冷凍の鍋焼きうどんが二百五十八円。単三電池の四本パックが四百三十七円。のど飴が二百十三円。それから切花が二百九十八円で、そのすぐ下に、値引きのマイナス百円。合計千百六円。
金曜の夜十時すぎに、うどんとのど飴。素直に読めば風邪のひきはじめだ。電池は、居間の壁の時計だろう。あれは単三を一本しか使わないけれど、一本売りはないから四本パックを買った。台所の引き出しを開けると、封の切れた単三が三本、輪ゴムでまとめてあった。筋は通る。
――いや、通りすぎている。こういうとき私の理屈は、都合のいい証拠から先に拾ってくる。
花だけが、どこにも収まらない。
風邪をひきかけた人間が、閉店前のスーパーで花を買うだろうか。値引きだったから。百円引かれても、まだ二百円近くする。誰かにあげるため。金曜の夜十時に、誰に。部屋を明るくしたかったから。これがいちばん私の言いそうにない理由で、だからいちばん疑わしい(疑わしい、というのが「ありそう」の意味なのか「なさそう」の意味なのか、書いていてわからなくなった)。
去年の十一月二十九日、土曜日。
テープの日付からすると、私はこの日にカーディガンを箱にしまった。ポケットを確かめなかったのは急いでいたから、と書きかけたが、ポケットを確かめる習慣が、私にはもともとない。急いでいたことにしたいのは、今の私のほうだ。
この日のことは何も覚えていない。携帯の写真をさかのぼると、十一月二十九日は一枚もなかった。十月二十四日も、一枚もなかった。その前の日に、電車の遅延を知らせる画面のスクリーンショットが一枚あるだけだ。
花を撮った写真は、ない。花瓶も、うちにはない。
去年の十月二十四日、金曜日、二十二時十三分。
改札を出て、閉店まで二十分を切ったスーパーに入る。入口の脇のバケツに、売れ残りの花束が何本か差してある。どこのスーパーでもそうだから、そこまでは書ける。
ポケットに入っていたのだから、私はあのカーディガンを着ていた。寒い夜だったのだろう、と書きかけて、やめた。カーディガン一枚で出歩ける夜だった、とも読める。
花は、レシートのいちばん下に打たれている。レジの人は最後に花を持ち上げて、茎が袋から出るように入れてくれたのだと思う。
うどんの袋の上で、茎が折れずに帰れたかどうかは、レシートには書いていない。
― 匿名の感熱紙読み
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