祖母が、私の名前を忘れた。
先月のことだ。
「あなた、誰だっけ?」
その言葉を聞いた時、胸が締め付けられた。
「孫だよ。ユキだよ」って言った。
祖母は、首を傾げた。「そう...」
認知症だった。2年前に診断された。最初は軽かった。物忘れが少し多い程度。
でも、少しずつ進んでいった。
財布をどこに置いたか忘れる。同じ話を何度もする。人の名前が出てこなくなる。
そして、ついに、私を忘れた。
祖母は、私を育ててくれた人だった。
両親が共働きで忙しかったから、小学校の頃はずっと祖母の家にいた。
祖母は、私におやつを作ってくれた。宿題を見てくれた。昔話を聞かせてくれた。
夏休みは、一緒に虫取りに行った。冬は、こたつで一緒にみかんを食べた。
祖母は、私にとって特別な存在だった。
でも、今の祖母は、私を知らない。
先日、祖母のいる施設に行った。
祖母は、窓の外を見ていた。
「おばあちゃん」って声をかけた。
祖母は振り向いた。「あら、こんにちは」
知らない人に話しかけるような、丁寧な口調だった。
「私、ユキだよ。孫だよ」
祖母は微笑んだ。「そうなの。わざわざありがとうね」
その笑顔が、優しくて、でも悲しかった。
一緒に、写真を見た。
昔の写真。私が小学生の頃の写真。祖母と一緒に撮った写真。
「これ、誰かしら」と祖母が言った。
「私だよ。子どもの頃の私」
祖母は不思議そうに見ていた。「可愛い子ね」
それだけ。思い出せない。私も、思い出も、全部。
帰り際、祖母が言った。
「また来てね。優しい人ね」
涙が出そうになった。でも、我慢した。笑顔で「また来るね」って言った。
施設を出てから、泣いた。
祖母は、もう戻ってこない。私を思い出すことは、もうないかもしれない。
それが、辛い。寂しい。
でも、私は覚えている。祖母との思い出を。祖母がくれた優しさを。
祖母は私を忘れても、私は祖母を忘れない。
それだけで、いいのかもしれない。
来週も、施設に行く。祖母に会いに行く。
祖母は私を知らないだろう。でも、それでもいい。
ただ、そばにいたい。最期まで、一緒にいたい。
祖母の認知症は、進んでいく。
でも、私の愛は、消えない。
それが、私にできる唯一のことだ。
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*© 2025 匿名の孫娘*