
…言い聞かせるより、「そうでもないところ」も考えたほうが楽だった人たちがいたにゃ。
こんなこと、ないにゃ?
本で読んだとおり、
毎朝となえてみた。
三日目くらいから、言うたびに、
胸のどこかがざわざわする。
気持ちが足りないのか、
信じ方が下手なのか。
「自分を好きになろう」は、
だれにでも効く言葉なのかにゃ。
カナダのウォータールー大学で、心理学者のウッドさんたち(2009年)は、まず大学生249人に、自分を励ます言葉を使っているかを聞いたにゃ。
半分ほどの人が、わりとよく使うと答えた。使う場面でいちばん多かったのは、試験の前。そして自己肯定感が低い人ほど、「かえって気分が悪くなることがある」と答えていたにゃ。
そこで実験をしたにゃ。自己肯定感がとくに高い人と、とくに低い人を集めた大学生68人に、4分間、頭に浮かんだ考えや気持ちを、そのまま書いてもらう。
半分の人には、もうひとつお願いをした。ドアチャイムのような音が鳴るたびに、心の中で「私は愛される人間だ」ととなえる。音は15秒ごと、全部で16回にゃ。
そのあとの気分は、「いまの気分は?」と直接は聞かなかったにゃ。「30歳の人が、幸せな恋をしている確率は?」のような質問に、どう答えるかから読みとった。気分が明るいと、世の中の見通しも明るくなりやすいからにゃ。
自己肯定感が低い人は、16回となえたあと、どうなったと思う?
自己肯定感が低い人は、となえた組のほうが
気分が下がり、楽しいことをしたい気持ちも下がった。
高い人は、となえて少しだけ気分が上がった
研究者たちは、4分間に書いてもらったメモも読んでいるにゃ。
高い人は「私は愛される」という考えをよく書いて、その反対はほとんど書かなかった。低い人は、「愛される」と同じくらい、「愛されない」とも書いていたにゃ。
励ましの言葉を16回となえても、心の中では、打ち消す声が同じくらい出てくる。はじめの場面の、かっこの中の声は、あなたひとりのものではなかったにゃ。
研究者たち自身、高い人への効き目は「小さかった」と書いているにゃ。もともと自分を好きな人には少しだけ、そうでない人には逆向きに。「となえれば上がる」は、全員の話ではなかったにゃ。
同じ論文には、もうひとつ実験があるにゃ。今度は大学生116人が、好きな時間に、好きな場所から、ウェブで参加した。
みんな「私は愛される人間だ」という一文について考える。ただ、考え方の指示が二つに分かれていたにゃ。
この文が自分に当てはまる場面や、ときのことだけを考える。
この文が当てはまるところと、当てはまらないところ。どちらを考えてもいい。
自己肯定感が低めの人が、あとで「自分に満足している」と答えたのは、どちらの組だったと思う?
研究者たちが手がかりにしたのは、説得の心理学で古くから言われている「受け入れられる範囲」という考えにゃ。
人には、自分の考えに近くて「まあ、そうかも」と思える幅がある。その幅の中の言葉は届きやすい。幅から遠く外れた言葉ははね返されて、かえって元の考えを強めることもある、とされているにゃ。
「自分は愛されない」と思っている人にとって、「私は愛される人間だ」は、幅のずっと外にあるのかもしれない。自分の口から出た言葉でも、人からの説得と同じことが起きるのではないか、というのが研究者たちの見立てにゃ。
2つ目の実験からは、もうひとつの説明が考えられているにゃ。励ましの言葉には、「いいことだけ考えなさい」という見えない決まりがついてくる。それなのに反対の考えが浮かぶと、「こんなに浮かぶなら、やっぱり私は…」と、浮かんだこと自体を証拠にしてしまう。
「そうでもないところも考えていい」と先に言われると、反対の考えは浮かんで当たり前のものになる。だからBの組は楽だったのではないか、と研究者たちは書いているにゃ。
どちらも、まだ説の段階にゃ。
ウッドさんたちの実験は、68人と116人の、北アメリカの大学生だったにゃ。東アジア系の学生は、こうした言葉への向き合い方がちがうかもしれないとして、どの調査・実験からも外されていたにゃ。
2020年には、別の研究者たちが、同じような実験を大学で2回やり直したにゃ。参加したのは、それぞれ200人あまり。
となえた組と、となえなかった組
(2回目は、大切にしたいことを書く組)で、
気分にも、自分への評価にも差が出なかった。
自己肯定感の高さによる違いも見られなかった
「となえると沈む」は、確かな決まりとまでは言えなさそうにゃ。
ただ、「となえれば上がる」も、やり直しの実験では見えなかった。となえてみて合わなかった人が、自分の信じ方を疑う理由は、あまりなさそうにゃ。
自分の評価を上げようとするのとは、別の道を考えた心理学者もいるにゃ。2003年にアメリカで提案された、「セルフ・コンパッション(自分への思いやり)」という考え方にゃ。
中身は三つ。うまくいかないとき、自分を裁くより、いたわること。つらさは自分だけのものではなく、人ならだれにでもあると思い出すこと。いやな気持ちを、押しのけも大げさにもせず、そのまま見ること。
三つ目は、2つ目の実験のBの組の考え方にも、少し似ているにゃ。
別の研究では、2000人あまりを調べて、自分への思いやりが強い人ほど、自分の価値の感じ方が揺れにくく、うまくいったかどうかにも左右されにくかったにゃ。その傾向は、自己肯定感の高さよりもはっきりしていた。
「私はすごい」と言い聞かせなくても使える、というのが、この考え方のいいところにゃ。
2009年の論文には、北アメリカでは「前向きに考えて」という言葉が、自己啓発の本からも、テレビからも、身近な人からも届く、と書かれていたにゃ。
いまの日本では、それが「自己肯定感」という一語になって、あちこちにあるにゃ。
「私、自己肯定感低いから」と、自分の説明に使う人もいるにゃ。上げる方法も、毎日のように流れてくる。2つ目の実験で研究者たちが気にしていたのは、「いいことだけ考えなきゃ」という見えない決まりだったにゃ。「上げなきゃ」も、同じ重さの決まりになることがあるかもしれないにゃ。
研究者たちは考察で、「私は気前のいい人間だ」のような大きな言葉より、「人へのプレゼント選びがうまい」のような小さく具体的な言葉のほうが、打ち消す声を呼びにくいかもしれない、と書いているにゃ。まだ試されていない案にゃ。保存した言葉が大きすぎて息苦しいなら、「先週、後輩の質問にていねいに答えた」くらいの大きさに置き換えてみる手もあるにゃ。
自分のいいところを書き出すノートやアプリもあるにゃ。2つ目の実験のやり方を借りるなら、列を二つにして、「当てはまると思うところ」と「そうでもないと思うところ」を並べて書く。右の列が埋まっても、はじめから席を用意してあった考えが来ただけ、と思える書き方にゃ。
しんどい日、あなたが自分にかけている言葉に近いのはどれ?

「自分を好きになろう」と言われて、
うまく好きになれなかったとき。
言葉が悪いのか、自分が悪いのか、
わからなくなることがあるにゃ。
かっこの中の声は、
追い出さなくても
よかったのかもしれないにゃ。
2つ目の実験で、
自己肯定感が低めの人が
より満足していたのは、
「そうでもないところも」
考えていいと言われた組のほうだった。
打ち消す声は、追い出そうとするほど
「やっぱり」の証拠に見えてくる。
来るものだと先にわかっていれば、
浮かんだ考えのひとつで済む。
そんなふうに読めたにゃ。
唱える言葉で沈むのかどうかは、
やり直しの実験で同じ結果が出ず、
まだ決着していないにゃ。
だから研究所が持ち帰りたいのは、
言葉そのものより、
言葉と自分のあいだの
すき間の扱い方のほうにゃ。
今夜の、小さな実験にゃ。
「私は、愛される人間だ」
の横に、
「そうでもない日もある」
と書き足す。
ふたつの文は、けんかさせずに
同じページに置いておく。
「そうでもない」のほうが
長くなる日があっても、
それはノートが正直なだけにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
📋 研究所のほかのレポートにゃ