🔬 猫の国 研究所
"私がしっかりしなきゃ"
が止まらない人は、
*役割を降りた
ことがない*
…その「しっかり」は、
いつから始まったのかにゃ?
いつも誰かのことを気にかけて、
段取りして、確認して、フォローして。
周りの人はそれを「頼りになる」と言うにゃ。
…でもにゃ。
その「しっかりしなきゃ」は、
いつ、どこで始まったのかにゃ。
ちょっと気になる研究があるにゃ。
「Eldest Daughter Syndrome(長女症候群)」という言葉が、近年の心理学研究で注目されているにゃ。
家族の中で最初に生まれた女の子、あるいは年上の女の子は、早ければ5歳の頃から、弟や妹の世話役を担わされることがあるにゃ。
幼少期からケアテイカー(世話役)を担った長女たちは、成人後に不安症やうつ病の発症率が有意に高かったにゃ。
さらに、慢性的なストレスレベルの上昇も報告されてるにゃ。
そして研究者が指摘した、もうひとつ重要なことにゃ。
これらの子どもたちの自己価値は、「責任を果たすこと」「必要とされること」に条件づけられていたにゃ。
つまり、しっかりしている自分にだけ、存在価値がある。
そういう信念が、子どもの頃に形成されていたにゃ。
愛着理論の創始者、John Bowlby博士は、ある特殊なパターンを記述しているにゃ。
「Compulsive Caregiving(強迫的ケア提供)」にゃ。
不安定な愛着を持つ子どもの中に、親子関係が逆転しているケースがあるにゃ。本来は親が子どもの安全基地になるはずが、子どもが親の安全基地にさせられているにゃ。
強迫的ケア提供者は、他者の世話をすることで、自分自身の不安を調整しているにゃ。
誰かを助けているとき → 安心
誰も助ける相手がいないとき → 不安・無力感
つまりケアすること自体が、自己調整の手段になっているにゃ。
「しっかりしなきゃ」が止まらないのは、性格じゃなくて、それを止めたら自分が崩れる感覚があるからかもしれないにゃ。
ここでひとつ考えてみてほしいにゃ。
「誰かの世話をしていないとき」
あなたは何を感じるにゃ?
安心?
それとも、
なんとなく落ち着かない感じ?
もし後者なら、
次の研究が気になるかもしれないにゃ。
「Parentification(親化)」という現象があるにゃ。子どもが親の役割を引き受けてしまうことにゃ。
特に深刻なのはEmotional Parentification(情緒的親化)にゃ。
親の愚痴を聞く。親の機嫌をとる。親の感情のケアをする。
子どもが、親のセラピスト役になるにゃ。
情緒的親化を経験した人には、成人後に以下が報告されているにゃ。
・うつ病・不安障害の発症率の上昇
・低い自己価値感
・感情調整の困難
そしてもうひとつ。
**アイデンティティが「ケアする役割」の上にしか
構築されていなかった**にゃ。
研究者はこうも指摘しているにゃ。
「休む」ことが危険に感じられる。なぜなら、神経系が常にアラート状態でいるように訓練されてきたからにゃ。
「休んでいいよ」と言われても
体が休まらない。
…それは怠けてるんじゃなくて、
神経系がまだ「見張り番」を
やめていないだけかもしれないにゃ。
家族システム理論では、子どもは家族の中で特定の「役割」を割り当てられることが知られているにゃ。
「しっかり者」「助ける人」「仲裁役」「問題を起こさない子」。
これらの役割は、家族が機能するために、暗黙のうちに子どもに配られるにゃ。
子ども時代に固定された役割は、大人になっても持ち越されることが報告されているにゃ。
職場でも、友人関係でも、恋愛でも。
「しっかり者」の役割を、あらゆる場面で自動的に引き受けてしまうにゃ。
そして、もっと厄介なことがあるにゃ。
「もうやらない」「今回は誰かに任せよう」と思っても、強い罪悪感と不安が襲ってくるにゃ。
自分がやらないと、何か悪いことが起きる気がする。
自分がいないと、みんなが困る気がする。
この罪悪感は、役割を降りることへの「罰」のように機能するにゃ。だから降りられないにゃ。
「任せていいよ」と言われたのに、
結局自分がやってしまう。
…それは「やりたい」からなのか、
「やらないと不安」だからなのか。
どっちだろうにゃ。
自己価値が「しっかりしていること」に条件づけられた
誰かを助けていないと不安。助けているときだけ安心
常にアラート状態。休息=危険と学習されている
家族で固定された役割が、すべての人間関係に持ち越されている
ここまでのデータを並べて、
研究所が思ったことをひとつだけにゃ。
「私がしっかりしなきゃ」が止まらない人は、
たぶん、本当にしっかりしてきた人にゃ。
小さい頃から誰かのために動いて、
自分のことは後回しにして、
それを「当たり前」だと思ってきたにゃ。
でもにゃ。
その「しっかり」は、もしかしたら
自分で選んだものじゃなかったかもしれないにゃ。
家族の中で、誰かがそうしなきゃいけなくて、
たまたまあなたがその役を引き受けた。
…いや、「たまたま」じゃないかもしれないにゃ。
引き受けざるを得なかったのかもしれないにゃ。
ただ、これはあくまで研究から見えたひとつの景色にゃ。あなたの物語は、あなたのものにゃ。
最後にひとつだけにゃ。
「でも私がやらないと、
本当に誰もやらないから」
…そうかもしれないにゃ。
でもにゃ。
役割は、
降りてもいいにゃ。
「しっかりしてない自分」にも、
存在していい理由はあるにゃ。
何も背負っていなくても、
あなたはあなたにゃ。
**その役割を降りたとき、
初めて「自分」が見えてくる**
…のかもしれないにゃ。
もし明日、
「しっかりする」をお休みしたら、
あなたには何が残るだろうにゃ。
5歳で世話役になった子どもがいたり、
ケアが自己調整の手段になっていたり、
神経系が「休む」を知らなかったり。
人間って、けなげにゃ。
研究はあくまで研究にゃ。
それをどう受け取るかは、
あなた次第にゃ。
**でも「降りてもいい」と知ることで、
少し肩の力が抜けることも
あるかもしれないにゃ。**
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