
…書いてすぐは、気分が沈んだ。そのあとの半年に、小さなちがいが残ったにゃ。
こういうこと、ないかにゃ。
話せる相手がいない夜もある。
話せる中身じゃないこともある。
それなら、
誰にも見せない紙に書くのは、
どうなんだろう。
40年あまり前、
それを確かめた人たちがいるにゃ。
1983年11月、アメリカ・テキサス州の大学。心理学者のペネベーカーさんとビールさんは、心理学入門の授業をとる学生46人に、こんなお願いをしたにゃ。
4日つづけて、毎晩15分、書きものをしてほしい。
書く場所は、ひとりきりの小部屋。係の人はメモ帳をわたすとドアを閉めて、15分たつまで戻ってこない。書いたものは、出口の箱に入れて帰る。名前とは結びつけない、と約束されていたにゃ。
何を書くかは、くじで4つの組に分けられたにゃ。
何が起きたかと、それについての気持ち。その両方を書く。
何が起きたかには触れずに、気持ちだけを書く。
気持ちには触れずに、出来事だけを順に書く。
1日目は自分の家の居間、2日目はいまはいている靴、3日目は木、4日目はいまいる部屋。見たままを書く。
A〜Cの組の作文で多かったのは、身近な人やペットとの死別(27%)、恋人との別れ(20%)、親や友だちとのけんか(16%)。チアリーダーに選ばれなかったこと、友だちが自分を笑っているのを聞いてしまったこと、というのもあったにゃ。
つらかったことは、大事件だけじゃなかったにゃ。
毎晩、書く前とあとに、血圧と気分を測ったにゃ。それから学年の終わりに、学内の保健センターから、研究の前(8月末〜11月なかば)と、研究のあと約半年(11月なかば〜5月なかば)の記録を出してもらったにゃ。
研究のあとの約半年、病気で保健センターに行く回数が増えなかったのは、どの組だったと思う?
Aの組は、研究の前も後も0.54回。
ほかの3つの組は、0.3回ほどから1.3〜1.6回ほどに増えていた
風邪をひきやすい季節を越えても、Aの組だけは、保健センターに行く回数がふだんどおりだった。そういう結果にゃ。
ただ、1つの組は11〜12人。差も、統計でいうと「ぎりぎり」と言われる大きさだったにゃ。研究者たち自身が、論文の中で有望だけれど、決定的ではないと書いているにゃ。
そして、この研究にはもうひとつの結果があるにゃ。書いた直後のことにゃ。
緊張・悲しい・うしろめたい・疲れた・不安など、7つの気分の合計点(ひとつ1〜7点)が、書く前からどれだけ変わったかの平均にゃ。
いちばん気分が沈んだのは、Aの組だったにゃ。血圧も、とくに1日目に、書いたあと大きく上がっていたにゃ。
反対に、起きたことだけを淡々と書いたCの組は、あまり乱れなかった。そのかわり、半年の記録では、居間や靴を書いたDの組とほとんど変わらなかったにゃ。
書いてすぐ楽になる、という話ではなかったにゃ。しんどさが先に来て、ちがいはあとから出てきた。この順番は、そのあとの研究でもよく報告されているにゃ。
4か月後のアンケートには、Aの組の学生たちのこんな声があったにゃ。
「書いたことは、まだ誰にも話していない。
でも、やっと向き合えた。
押しこめるかわりに、痛みを通り抜けられた。
いまは思い出しても、痛くない」
「たくさん考えた。
でも、状況は同じまま」
吐き出せばすっきりする、という考え方(カタルシス)なら、気持ちを書いた直後に楽になるはずにゃ。でも実際は逆だった。研究者たちも、「ただ吐き出す」という説明には合わない、と書いているにゃ。
よく挙げられる説明は、2つあるにゃ。
ペネベーカーさんたちが最初に考えた説にゃ。言えないことを抱えて、表情や言葉を抑えつづけるのは、体にとって小さな負担が続くこと。書けば、その荷が少し下りる、という考えにゃ。
ただ、のちの別の研究では、人に話したことのある出来事を書いても、秘密にしてきた出来事を書いても、効き目は変わらなかったにゃ。ペネベーカーさん自身も1997年に、この説の役割は「まだ確かめられていない」と書いているにゃ。
のちにペネベーカーさんたちは、書かれた文章の言葉を数えたにゃ。よくなった人ほど、日を重ねるにつれて「だから」「なぜなら」「わかった」「気づいた」のような言葉が増えていた。はじめはまとまらなかった文章が、最後の日には、ひとつの話になっていたにゃ。
ただ、これは「いっしょに見られた」という結びつきにゃ。言葉を増やせばよくなる、とまでは言えないにゃ。
起きたことだけのCの組が変わらなかったのも、この2つ目の説と合うにゃ。出来事を並べるだけでも、気持ちを書くだけでもなく、出来事と気持ちをつなげること。そこに何かがあるのかもしれないにゃ。
この研究のあと、同じような「書く実験」は、学生だけでなく、病気のある人や仕事を失った人などでも、たくさん行われたにゃ。
2006年に、くじで組を分けた146の実験をまとめて分析した研究があるにゃ。
効き目は、あった。でも小さかった。
書いた組と書かなかった組が100人ずつなら、よくなった人が54人と46人、というくらいの差にゃ
研究者が目安にする「小さい差」にも、届かない大きさにゃ。分析した研究者は、お金も道具もいらないことを考えれば意味のある差だ、とも書いているにゃ。
効き目が大きめになりやすい条件も見えてきたにゃ。ほかの人がいない部屋で書いたとき。3回以上、1回15分以上書いたとき。手で書くか、キーボードで打つか、声で話すかでは、差は見られなかったにゃ。
それに、146の実験の6割あまりは、大学生だけを対象にしていたにゃ。書くことが、心や体の病気の治療の代わりになると確かめられたわけではないにゃ。
この書き方を一般の人向けに紹介してきた人たちは、手引きにひとつ決まりを入れているにゃ。書いていて「これ以上は無理」と感じたら、そこでやめる。
研究の学生たちは、ドアの閉まった小部屋で、メモ帳に書いたにゃ。書いたものは名前のない箱へ。誰も読まないし、誰も返事をしない。
いまの私たちが、つらいことを文字にする場所は、ずいぶん変わったにゃ。
夜中に、あの人あての長い文を打って、送らずに消す。読む人がいない文章という点では、研究の形に少し近いにゃ。書いた紙を出しても、書いたそばから消える板に書いても、すぐあとの体と気分の反応は変わらなかった、という小さな研究もあるにゃ。
ただ、相手あての文は「あなたは」で始まりやすいにゃ。研究で書いたのは、「何が起きて、私はどう感じたか」。宛先を外すと、書けることが変わるかもしれないにゃ。
鍵をかけたアカウントに、つらかったことを書く人もいるにゃ。研究の箱は、返事をしなかった。SNSには、いいねがつくし、つかないこともある。誰かが読むかもしれないと思うと、書くことを選んだり、明るめに整えたりしたくなるかもしれないにゃ。
146の実験の分析では、ほかの人がいる部屋より、ひとりの部屋で書いたほうが効き目が大きめだったにゃ。SNSを調べた研究ではないけれど、読む人の気配は、書く中身を変えるのかもしれないにゃ。
家族と暮らしていると、ドアを閉めて15分ひとりになるのは、案外むずかしいにゃ。研究の小部屋は、それを用意してくれていたにゃ。分析では、研究室より家で書いた実験のほうが、心の面の効き目が大きめだったにゃ。
子どもが寝たあとの台所のテーブル。昼休みの、車の運転席。あなたの「小部屋」は、どこにあるかにゃ。
もし書くとしたら、にゃ。
研究の4つの組。いまのあなたが、いちばん書けそうなのはどれ?

「もう昔のことだから」
「別に平気なんだけどね」
つらかったことを人に話すとき、
出来事だけを淡々と並べることが
あるにゃ。
そう話すと、たしかに乱れない。
その話し方にいちばん近いのは、
起きたことだけを書いたCの組にゃ。
Cの組の人たちも、
書いたあと落ちついていた。
そして半年の記録は、
居間や靴を書いた組と
変わらなかったにゃ。
平気な顔で話せるようになることと、
その出来事をすませることは、
別の作業なのかもしれないにゃ。
4日書いても「状況は同じまま」と
書いた学生もいたにゃ。
書いても、起きたことは変わらない。
変わるかもしれないのは、
思い出すときの痛み方のほう。
「いまは思い出しても、痛くない」。
アンケートにあった学生ひとりの言葉を、
ねこたちが少し広げて読んでみたにゃ。
ただ、この研究では、
痛み方が変わるより先に、
しんどさが来たにゃ。
書くたびに眠れない夜が続く。
沈んだ気分が、何日も抜けない。
そうなっているなら、
15分の紙に背負わせるには
重すぎる記憶なのかもしれないにゃ。
ひとりで紙に向かうより、
信頼できる人やニャンタル、専門家と
いっしょに向き合うほうが
合っていることもあるにゃ。
1983年の小部屋では、
いちばんしんどい書き方をした人たちに、
あとから小さなちがいが残ったにゃ。
起きたことの横に、
そのときの気持ちを
ひとこと。
「あの日、みんなの前で言われた。
……くやしかった」
研究の学生たちは、
こんなふうに出来事と気持ちを並べて、
15分を4日つづけたにゃ。
書き終えた紙は、
出口の箱に入れて、部屋を出る。
家なら、たたんで引き出しの奥へ。
読み返すための紙じゃなくて、
書くための紙にゃ。
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