
…同じ「完璧にしなきゃ」でも、だれに向いているかで、心への重さがちがったにゃ。
完璧じゃない自分が、こわい。
そう感じる夜があるにゃ。
よく見ると、ひとりの夜の頭の中には、
「完璧」がいくつも出てくるにゃ。
自分に求める完璧。
人に求める完璧。
それから、人から求められている気がする完璧。
ぜんぶ同じ「完璧主義」で
くくっていいのかにゃ。
1991年、カナダの心理学者ヒューイットさんとフレットさんは、それまで「自分に厳しい性格」とひとまとめにされてきた完璧主義を、向きで3つに分けたにゃ。
自分に高い基準を課して、自分の出来を厳しく採点する。
家族や同僚など、まわりの大事な人に高い基準を求める。
まわりが自分に完璧を求めていて、厳しく見ている、と感じる。
3つを15問ずつで測る質問紙を作って、5つの調べで確かめたにゃ。そのひとつでは、トロントの大学の学生104人に、この質問紙と、心と体の不調を90の項目でたずねるチェックリストに答えてもらったにゃ。
気分の落ちこみと、いちばん強く結びついていたのはどれだと思う?
「完璧主義の人は、失敗がこわい」とよく言われるにゃ。この調べでは、同じ学生たちに「人から悪く評価されるのが不安か」もたずねていたにゃ。
人の目への不安とはっきり結びついていたのは、③の型だけだったにゃ。
自分に厳しい人が、みんな人の目におびえているわけじゃなかったにゃ。①の型がいちばん強く結びついていたのは、「授業でいい成績をとることが、自分にとって大事」という気持ちのほう(0.57)。
②の型は、自分の落ちこみとはほとんど結びつかず、かわりに人を責める気持ちと結びついていた(0.43)にゃ。
同じ論文で、精神科の病院にかかっている77人を調べたときも、不安や、長く続く気分の落ちこみと結びついていたのは、主に③の型だったにゃ。
といって、①なら安全、という話でもないにゃ。学生では①も落ちこみと結びついていた(0.28)。ちがっていたのは、重さのかかり方にゃ。
研究者たち自身は、論文の終わりでこう考えているにゃ。
自分で決めた基準は、自分で動かせる。人に向けた基準も、自分の側にある。でも「まわりが求めている」基準は、自分の外にある。どれだけやっても、届いたかどうかを決めるのは自分じゃない。
「うまくやるほど、次はもっと期待される」。質問紙のこの一文のように、ゴールが逃げていく感覚が続くと、「やっても変わらない」という無力感につながるのでは、という説にゃ。データで確かめたことではなく、研究者たちの読みにゃ。
この二人は、のちにもうひとりの臨床家と書いた本(2017年)で、完璧主義を「人に受け入れてもらい、離れていかれないための手立て」として読んでいるにゃ。根っこは、小さいころからの人とのかかわりにある、という見方にゃ。ただ、完璧にしても安心は長く続かない。守ってくれるはずの約束が、果たされない約束になりやすい、と。
人を集めて数えた結果ではなく、セラピーの場で組み立てた見立てにゃ。それでも、「がっかりされる」が夜の頭の中でいちばん大きな声になる理由として、腑に落ちる人はいると思うにゃ。
3つの型に分ける見方は、その後たくさんの研究で使われてきたにゃ。2022年には、柱の二人も加わった研究者たちが、30年分をふり返るレビューを書いているにゃ。
完璧主義は、うつ、摂食障害、夫婦の問題、先のばしなど、さまざまなつまずきと結びついてきた。
ほかのよく知られた性格の物差しの言いかえではなく、心の不調になりやすさの「核」のひとつらしい。
ただ、1991年の学生の調べは、一度にとったアンケートにゃ。気分が落ちているときは、まわりの目まで厳しく見えやすい。そんな逆向きの流れもありうるので、どちらが先かまでは、この調べだけではわからないにゃ。
1991年のあとも、同じ質問紙は使われ続けたにゃ。アメリカ・カナダ・イギリスの大学生4万人あまりの答えを、1989年から2016年まで並べた分析では、3つの型はどれも少しずつ増えていて、いちばん大きく増えていたのは「人から求められている」感覚だったにゃ。
日本の数字はこの分析に入っていないけれど、いまの日本の暮らしにも、思い当たるところがあるにゃ。
荷物は指定した時間に届いて、お店の人はいつも感じがよくて、頼んだものは写真どおりに出てくる。暮らしやすさのうらで、私たちは毎日、完璧であたりまえを受けとっているにゃ。少しずれただけで、気になってしまう日もあるにゃ。
お客としてそれを受けとる人が、職場に戻ると、差し出す側になる。人に求める完璧と、人から求められていると感じる完璧が、ひとつの街の中で回っているのかもしれないにゃ。1991年の数字で心の重さが出ていたのは、求める側より、求められていると感じる側だったにゃ。
「完璧にしなきゃ」と思ったとき、それを求めている人の顔を、ひとり具体的に思い浮かべてみるにゃ。本当にそういう人がいることもある。でも、顔の浮かばない「みんな」だったら、それは毎日受けとっている「あたりまえ」の声なのかもしれないにゃ。③の型の質問紙が数えていたのも、本当に求められているかではなく、求められていると感じるかだったにゃ。
あなたの「完璧にしなきゃ」に、いちばん近いのはどれ?

3つの型で、ひとつだけ
そろっていたことがあるにゃ。
自分を責める気持ちは、
どの型とも結びついていたにゃ。
研究者たちは、それをこう読んでいるにゃ。
責める気持ちは同じでも、
入ってくる戸口がちがう。
自分の失敗から。
人の失敗から。
人からの批判から。
PM 11:32 の頭の中にも、
戸口は3つとも開いていたにゃ。
「もう一回だけ見直そう」は、自分の戸口。
「後輩の資料、誤字が3つ」は、人の戸口。
「今回はもっと期待されてる」は、
「求められている」の戸口。
学生たちの答えで、
気分の重さがいちばん出ていたのは、
この最後の戸口だったにゃ。
夜、「まだ足りない」と
自分を責めはじめたとき、
それがどの戸口から入ってきたのかを見るのは、
ひとつの手がかりになりそうにゃ。
自分の戸口なら、物差しは手の中にある。
「求められている」の戸口なら、
戸の向こうに本当にだれかいるのか、
のぞいてみる値打ちがあるにゃ。
最後に、あの質問紙から一文だけにゃ。
「まわりの人は、
わたしだってまちがえることを、
すんなり受け入れてくれる」
「人から求められている」と
感じやすい人ほど、
この一文には「そう思う」と
答えにくかったにゃ。
今夜のあなたは、
どのくらい「そう思う」にゃ?
思っているより「そう思う」の側に
立ってくれている人が、
あなたのそばにも、いるかもしれないにゃ。
猫の国は、頑張りすぎてしまう人のための場所にゃ。
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