🔬 猫の国 研究所
完璧主義の人は、
実は"完璧じゃない自分"を
一番恐れている
…「もっと頑張らなきゃ」の裏側に何があるのか、
ちょっと気になる研究を見つけたにゃ。
この感覚、わかる人にはわかると思うにゃ。
多くの人はこれを
「責任感が強い」「仕事ができる」
と思ってるにゃ。
…でもにゃ。
カナダの研究者が、
この「完璧にしたい」の正体を
30年かけて調べていたにゃ。
1991年、カナダのHewitt博士とFlett博士が、完璧主義を詳しく調べたにゃ。
それまで完璧主義は「高い基準を持つ人」くらいの意味だったにゃ。でもこの2人は、完璧主義には3つの全く違う顔があることを発見したにゃ。
① 自己志向型 ― 自分に対して不可能なほど高い基準を課す
② 他者志向型 ― 他人にも完璧を求める
③ 社会規定型 ― 「周りが自分に完璧を求めている」と感じる
そしてこの3つのすべてが、失敗への恐怖と失敗を許せない傾向に有意に関連していたにゃ。
つまり、「高い基準を持っている」のではなくて、「基準に届かない自分が怖い」。
それが完璧主義の正体だったにゃ。
ここでひとつ考えてみてほしいにゃ。
あなたの「完璧にしたい」は、
どの顔に近いにゃ?
自分への高い要求?
他人への高い要求?
それとも、「みんなが期待してる」
という感覚?
3つ目の「社会規定型」が、
実は一番やっかいだということが
30年後の研究でわかったにゃ。
研究が進むにつれて、完璧主義の構造が見えてきたにゃ。
完璧主義には「適応的」と「不適応的」の2種類があるにゃ。
高い基準を持ちつつ柔軟に対応できるのが前者。
硬直した基準+厳しい自己批判が後者にゃ。
① 自己価値が「完璧な成果」に依存している
↓
② 失敗 = 自分の価値が崩れる
↓
③ だから完璧にしないと不安になる
↓
④ 過剰な自己モニタリングと反芻が始まる
つまり、不適応的な完璧主義は脅かされた自己価値を守るための補償的コーピングにゃ。
「完璧でいたい」のではなく、「完璧じゃないと自分が壊れる」と感じている状態にゃ。
「ちゃんとしなきゃ」の裏側に、
「ちゃんとしない自分には
価値がない」という声は
聞こえるにゃ?
2021年、Smith博士らが30年分の完璧主義研究をレビューしたにゃ。そこで見えてきたのは、皮肉な事実だったにゃ。
完璧主義は、うつ病、不安障害、摂食障害、バーンアウトと有意に関連していたにゃ。
しかも完璧主義者はプレッシャー下でパフォーマンスが低下する。
なぜなら、失敗への恐怖が認知リソースを消費するからにゃ。
これは「完璧主義のパラドックス」と呼ばれているにゃ。
完璧を目指すほど、完璧から遠ざかる。
完璧にやろうとする不安が、脳の処理能力を奪ってしまうにゃ。
頭の中で「これで大丈夫か」「まだ足りないんじゃないか」と
ずっとチェックし続けている状態にゃ。
それは集中じゃなくて、恐怖による監視にゃ。
30年の研究で、心理的苦痛ともっとも強く関連していたのは、3つの顔のうちどれだったか。
自己志向型や他者志向型よりも、
社会規定型がうつや不安との関連が最大だったにゃ。
「周りが自分に完璧を求めている」という感覚が、
もっとも強く心理的苦痛と結びついていたにゃ。
なぜこれが一番つらいのか。
自分で自分に課した基準なら、自分で下げられるにゃ。
でも「他人が求めている」と感じている基準は、自分では変えられないにゃ。
「こんなの出したら呆れられる」
「もっとちゃんとしないと見捨てられる」
その「呆れる誰か」「見捨てる誰か」は、
実は今ここにはいないかもしれないにゃ。
「完璧にしなきゃ」と感じるとき、
その基準は誰が決めたものにゃ?
本当に今の周りの人が
それを求めてるにゃ?
Hewitt博士とFlett博士の研究から見えてくるのは、こういう構図にゃ。
子どもの頃、条件つきの承認を経験した人がいるにゃ。
「テストで100点を取ったら褒めてもらえた」
「失敗したら怒られた、がっかりされた」
「できる子でいるときだけ、安心できた」
その環境で子どもが学ぶのは、
「完璧でいれば愛される。完璧じゃなければ、見捨てられる」
という方程式にゃ。
それは、あの頃は正しかったのかもしれないにゃ。
完璧でいることで、居場所を守っていたにゃ。
でも大人になった今も、その安全装置が作動し続けているとしたら…?
「完璧じゃなきゃダメ」という声は、
今の自分の声にゃ?
それとも、ずっと昔に
誰かから聞いた声にゃ?
自己志向型 / 他者志向型 / 社会規定型 ― すべて失敗への恐怖と関連
自己価値を守るための補償的コーピング。「完璧じゃない自分」が怖い
完璧を目指すほどパフォーマンスが下がる。社会規定型が最も苦しい
…なのかもしれないにゃ。
ここまでのデータを並べて、
研究所が思ったことをひとつだけにゃ。
完璧主義の人は、たぶんずっと頑張ってきた人にゃ。
100点じゃないと不安で、
人前で間違えるのが怖くて、
「まだ足りない」と自分を追い込んできたにゃ。
それは怠けの反対にゃ。
自分に厳しすぎるほど、一生懸命に生きてきた証拠にゃ。
ただ、もしその頑張りの燃料が
「恐怖」だとしたら。
いつかガス欠を起こすかもしれないにゃ。
そしてガス欠を起こしたとき、
「頑張れない自分は価値がない」と
感じてしまうかもしれないにゃ。
だから研究所は思うにゃ。
鎧を脱ぐことは、弱くなることじゃないにゃ。
「鎧がなくても大丈夫だった」と気づくことにゃ。
ただ、研究はあくまでひとつの切り口にゃ。あなたの頑張りの理由は、あなたにしかわからないにゃ。
最後にひとつだけにゃ。
「じゃあ、完璧を
目指さなくなるのが
ゴールなの?」
研究所は、そうは思わないにゃ。
完璧じゃなくても、
自分を嫌いにならない。
70点の自分でも、
「まあ、これが今の自分にゃ」と思える。
それは手を抜くことじゃなくて、
ようやく自分の味方になれた
ということなのかもしれないにゃ。
もし完璧じゃなくても
大丈夫だとしたら、
あなたは何から手を放すにゃ?
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