🔬 猫の国 研究所
「私なんか」が
口癖の人は、
*自己防衛を
している*
…それって、いつから始まったのかにゃ?
ちょっと調べてみたにゃ。
「いやいや、私なんかそんな…」
「どうせ私には無理だし」
「私がやってもうまくいかないよ」
こういう言葉が、
気づいたら口から出ている人、
いると思うにゃ。
周りからは「謙虚だね」「もっと自信持ちなよ」
と言われるにゃ。
でも本人は、
自信がないから言ってるんじゃないかもしれないにゃ。
もしかしたらそれは、
自分を守るための技術にゃ。
心理学では、自己卑下(self-deprecation)が防衛機制のひとつとして機能することが知られているにゃ。
仕組みはこうにゃ。
①「期待されたら、失敗したとき傷つく」
②「他人に否定されたら、もっと傷つく」
③「だったら先に自分で下げておけば、ダメージを減らせる」
つまり「私なんか」は、想像上の拒絶に対する先制攻撃にゃ。
自分で先に攻撃しておけば、他人からの攻撃が来ても「わかってたし」で済むにゃ。
さらに、自分を低く見せることには社会的なメリットもあるにゃ。
「謙虚」に見える。「出る杭」にならない。
集団の中での安全を確保できるにゃ。
「私なんか」と言うとき、
あなたは誰からの攻撃を
防いでいるにゃ?
1986年、心理学者のNorem博士とCantor博士が、おもしろい概念を提唱したにゃ。
防衛的悲観主義(Defensive Pessimism)にゃ。
過去に十分な成功体験がある人たちを調査したにゃ。
普通なら「前もうまくいったし、今回もいける」と思うはずにゃ。
でもこの人たちは、過去の成功に関係なく、次の結果を低く見積もったにゃ。
Norem博士はこれを適応的な戦略だと位置づけたにゃ。
①最悪の結果を先に想像する
②その不安をエネルギーにして準備を徹底する
③結果として、実際のパフォーマンスは悪くない
つまり「どうせダメ」は、不安を飼いならすための道具だったにゃ。
ただし、研究はこうも報告しているにゃ。
この戦略を使い続けると、慢性的な自己過小評価が起きるにゃ。
「実際はうまくいった」という事実が、自己イメージに反映されなくなるにゃ。
成功しても「まぐれだ」と思い、失敗すると「やっぱりね」と思う。
このループが、じわじわと自分を削っていくにゃ。
ここでひとつ考えてみてほしいにゃ。
うまくいったとき、
素直に「自分の力だ」と
思えることはあるにゃ?
それとも、どこかで
「たまたまだ」「次はダメかも」と
感じてしまうにゃ?
もし後者なら、
次の研究がちょっと気になるかもしれないにゃ。
1996年、Downey博士とFeldman博士が拒絶感受性(Rejection Sensitivity)という概念を提唱したにゃ。
拒絶感受性が高い人は、拒絶を不安に予期し、容易に知覚し、過剰に反応するにゃ。
拒絶感受性の高い人は、拒絶刺激に対して特異的に強い驚愕反応を示したにゃ。
一般的なネガティブ刺激(恐怖映像など)には普通の反応にゃ。
でも「拒絶」に関する刺激だけ、神経系が過剰に反応するにゃ。
つまり、怖いもの全般が苦手なわけじゃないにゃ。
「拒絶」だけを検知するセンサーが、異常に敏感になっているにゃ。
「私なんか」は、このセンサーが発する言葉なのかもしれないにゃ。
「拒絶されるかもしれない」というアラームが鳴る前に、
自分で自分の価値を下げておく。
そうすれば、拒絶のダメージを最小化できるにゃ。
褒められたとき、誘われたとき、
期待されたとき。
嬉しさより先に
「怖い」が来ることはあるにゃ?
Downey博士の研究では、拒絶感受性が高い人の多くに幼少期の拒絶体験が見られたにゃ。
親が気分屋だった。
「いい子」のときだけ愛された。
泣いたら突き放された。
兄弟と比べられた。
子どもはそこで学ぶにゃ。
「ありのままの自分は受け入れてもらえない」と。
自分を小さく見せる。
期待させない。目立たない。
「私なんか」と言っておけば、
少なくとも攻撃の対象にはならない。
これは子どもにとって、きわめて合理的な戦略だったにゃ。
問題は、大人になってもこのプログラムが自動で動き続けていることにゃ。
もう攻撃してくる親はいないかもしれない。
でも神経系は、まだあの頃の「危険な世界」にいるにゃ。
先に自分を下げれば、他人からの攻撃ダメージを減らせる
期待を低く設定して不安を管理する / ただし成功が自己像に反映されなくなる
拒絶だけに特異的に反応する神経系 / 幼少期の拒絶体験が起源になり得る
…のかもしれないにゃ。
「私なんか」は、確かに守ってくれたにゃ。
でも、ずっと着続けた鎧には代償があるにゃ。
チャンスを自分で閉じてしまうにゃ。
「私なんかが応募しても」「私なんかが告白しても」。
その言葉のたびに、可能性のドアが一枚ずつ閉まっていくにゃ。
相手の好意を受け取れなくなるにゃ。
「こんな私を好きなわけがない」
「お世辞だろう」「何か裏がある」。
善意が入ってこなくなるにゃ。
「私なんか」が本当の自分になっていくにゃ。
最初は防衛だったはずの言葉が、繰り返すうちに信念に変わるにゃ。
「私なんか」が、本当に「私はダメな人間だ」になっていくにゃ。
守るために着けた鎧が、
いつの間にか
自分の皮膚になっていること、
あるかもしれないにゃ。
ここまでの研究を並べて、
研究所が思ったことをひとつだけにゃ。
「私なんか」が口癖の人は、
たぶん、すごく痛い思いをしたことがある人にゃ。
期待して裏切られた。
自分を出して否定された。
「あなたはダメだ」と、大事な人に言われた。
その痛みが、あまりにも大きかったから、
二度と同じ傷を負わないための仕組みを作ったにゃ。
それは弱さじゃなくて、
あの頃の自分を守り抜いた、ものすごい知恵にゃ。
ただ、もしかしたら。
今のあなたは、あの頃よりちょっとだけ強くなっているかもしれないにゃ。
鎧がなくても、立っていられるくらいには。
…もちろん、これはひとつの見方にすぎないにゃ。あなたのペースで、あなたが決めていいにゃ。
最後にひとつだけにゃ。
「じゃあ、
"私なんか"を
やめればいいの?」
研究所は、そうは思わないにゃ。
「私なんか」と言いそうになったとき、
*「あ、今
自分を守ろうとしてるな」*
と気づけること。
やめなくていいにゃ。
ただ、気づくだけでいいにゃ。
気づいた瞬間、
その言葉は「口癖」から「選択」に変わるにゃ。
守りたいときは守ればいい。
でも守らなくてもいい場面が見えてきたら、
そのときは少しだけ鎧を緩めてみてもいいかもしれないにゃ。
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