
…「大丈夫、あなたならできる」と言われると、かえって調子がくずれる人がいたにゃ。
こんな会話、ないにゃ?
「私なんか」「どうせ無理」。
気づいたら、口ぐせになっている。
「もっと自信持ちなよ」
「大丈夫だって」
と言われるほど、
なぜか胸がざわざわする。
この「私なんか」は、
ただの自信のなさなのかにゃ。
アメリカの心理学者ノレムさんとカンターさん(1986年)は、大学生たちに前もって質問紙に答えてもらい、ふたつのタイプの学生を選び出したにゃ。
これまでの成績はよい。それでも試験の前には、毎回「今度こそ失敗するかも」と考えて、不安になる。
成績はよく、試験の前にも「いつもどおりやれば平気」と考える。
ノレムさんたちは、タイプ①のやり方を防衛的悲観と名づけたにゃ。
実験室で、文字を並べかえて言葉をつくる課題などに取り組んでもらう。その前に「どのくらいできそうか」「どのくらい不安か」を聞いて、実際の出来と比べたにゃ。
「今回はだめかも」と構えた学生の出来は、楽観的な学生と比べてどうだったと思う?
「今回はだめかも」の学生は、
楽観的な学生より期待が低く、不安も強かった。
それでも、課題の出来に差はなかった
低い見積もりは、思ったとおりになる予言にはならなかった。強い不安も、出来を下げてはいなかったにゃ。
はじめの会話の「どうせ落ちるよ〜」も、口ではそう言いながら、ちゃんと受かってきた人の言葉なのかもしれないにゃ。
ノレムさんたちは、こう考えたにゃ。この人たちにとって、低い見積もりは弱気ではなく、不安とつきあうための作戦なのでは。
それなら、その作戦をじゃましたら、どうなるか。次の実験で、確かめたにゃ。
次の実験でも、同じふたつのタイプの学生に来てもらったにゃ。課題は、文字の並べかえとパズル。
始める前に、それぞれに大学での成績を聞く。そして半分の人にだけ、実験する人がこう声をかけたにゃ。
「この成績なら、問題なくできると思いますよ」
もう半分の人には、何も言わなかったにゃ。
励まされた「今回はだめかも」の学生は、励まされなかった同じタイプの学生と比べてどうだったと思う?
「今回はだめかも」の学生は、
励まされると、励まされなかったときより点が低かった。
楽観的な学生には、同じことは起きなかった
同じ「大丈夫」の一言が、ある人には追い風、ある人には向かい風になる。
「大丈夫だって」と言われるほど落ち着かなくなるのは、あなたが気むずかしいからではないのかもしれないにゃ。
ノレムさんたちの説明はこうにゃ。
先に低く見積もっておけば、うまくいかなくても落ち方がやわらぐ。クッションにゃ。そのうえで「何がまずくなりうるか」を頭の中で一つずつなぞり、不安を準備に変えていく。
では、なぜ励ましでくずれるのか。説明の候補はふたつあるにゃ。
ひとつは、「大丈夫」で不安がしぼんで、準備に向かう力まで止まってしまう、という説明。もうひとつは、「できるはず」と期待を上げられて、クッションがなくなり、不安が手に負えなくなる、という説明。どちらなのかは、まだはっきりしていないにゃ。
「先に自分を下げておく」を、心の守りとして見る考え方もあるにゃ。人から下げられる前に自分で下げておけば、痛みが少なくてすむ。臨床の世界で昔から語られてきた見立てで、数えて確かめた結果というより、ひとつの見方にゃ。
ノレムさんはのちに一般向けの本も書いて、不安の強い人に「前向きに」とすすめるより、不安の使い道を見つけるほうが合う人もいる、と書いているにゃ。
1996年の研究では、ふたつのタイプの学生を3つのグループに分けて、課題の前に、それぞれちがう想像をしてもらったにゃ。
失敗して、それを立て直す自分。何もかも完璧にこなす自分。力をぬいてくつろぐ場面。
「今回はだめかも」の学生の出来がいちばんよかったのは、どの想像のあと?
そして「完璧にこなす自分」の想像は、どちらのタイプにとってもいちばん出来が悪かったにゃ。
合う準備のしかたは、人によってちがう。「くつろいで」が合う人もいれば、「心配を全部並べて」が合う人もいるにゃ。
ただ、励ましで点が下がる結果は、2009年にアメリカの大学で同じような実験をした小さな研究では、出てこなかったにゃ。1986年の研究も、大学生が実験室で課題を解く場面のもの。大人の暮らしの「私なんか」を、まるごと調べたわけではないにゃ。
研究で調べたのは、大学生が試験や課題に向かう場面だったにゃ。
大人になると、点数の出る試験は減る。でも「私なんか」が口から出る場面は、むしろ増えるのかもしれないにゃ。
手料理を出すとき、作った資料を見せるとき、先にひとこと自分を下げておく。研究の低い見積もりと同じ形にゃ。研究の学生とつながるのは、そのあとのほう。前置きしながら、もう一度味見をしている人は、不安を準備に回しているのかもしれないにゃ。
家族や友だちが「私なんか無理」と言うと、つい「大丈夫、あなたならできる」と返したくなるにゃ。日本では「がんばって」も、別れぎわのあいさつのように交わされる。でも研究の学生には、その一言がじゃまになることがあった。「どこがいちばん心配?」と聞いて、心配をいっしょに並べるほうが、合う人もいるかもしれないにゃ。
「私なんか無理。だから、ここを確かめておこう」と続くなら、研究の学生のやり方に近いにゃ。「私なんか無理。だから、やめておこう」と続くことが多いなら、それは研究で調べたのとは別の道。調査はそこまで聞いていないけれど、口ぐせは同じでも、そのあとの一歩で行き先が分かれるのかもしれないにゃ。
大事なことの前、いまのあなたに近いのはどれ?

「この成績なら、
問題なくできると思いますよ」。
たったそれだけの声かけで、
点が下がった学生たちがいたにゃ。
「大丈夫」は、ふつうはやさしい言葉にゃ。
でも、心配を全部並べてから
本番に向かう人にとっては、
並べている途中で
片づけられてしまう言葉にもなる。
だとすると、「私なんか」は、
自信のなさの告白というより、
「これから心配を並べるところ」の
合図なのかもしれないにゃ。
もちろん、そう読めない日もある。
不安が大きすぎて、
並べる前に手が止まる日もある。
そういう日の「私なんか」は、
合図というより、
ため息に近いのかもしれないにゃ。
「私なんか」の次に、
「…で、何がいちばん心配?」と
ひとことつづけてみる。
研究所でいちばん心配性のねこは、
出かける前に、
しっぽの先まで三回たしかめるにゃ。
それで、いちばん遠くまで
散歩に行けるのも、そのねこにゃ。
猫の国は、自分を守ってきた人のための場所にゃ。
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