
…3世代の母と娘を調べた研究から、その契約書を読み返してみたにゃ。
こんな声、心の中で聞こえないにゃ?
子どものころ、いい子にしていると
ほめてもらえた。抱きしめてもらえた。
そのとき、小さな手で
こんな契約書にサインした人も
いるかもしれないにゃ。
「いい子でいます。
だから、愛してください。」
この契約は、大人になってから
どうなっているのかにゃ。
イスラエルの大学の心理学者、アソールさんたち(2004年)は、親の愛情を「条件つき」と感じて育った人を調べたにゃ。
条件つきというのは、親の望むことができたときには愛情が増えて、できないときには減る、と子どもが感じる関わり方のことにゃ。
この論文には、研究が2つ入っているにゃ。先に研究2から見ていくにゃ。
大学生110人に、4つの物差しについて聞いたにゃ。
「泣いたりこわがったりしないときだけ、父の愛情がもらえる気がした」など。怒り・こわさ・悲しみをこらえること。
「人に親切にすると、母がいつもより愛情を見せてくれた」など。
「学校の成績が悪いと、父の愛情をたくさん失う気がした」「母の愛情は、スポーツの練習をがんばるかどうかしだいだった」など。
そして、いまの自分のこと。そのふるまいを、どのくらいしているか。どんな気持ちでしているか。2〜3週間あけて、2回に分けて答えてもらったにゃ。
親の愛情を「いい子のときだけ」と感じていた学生ほど、いまはどうだったと思う?
母について、父について、4つの物差しで、
8つの組み合わせのすべてで同じ向き。
条件つきと感じていた人ほど、
「しなきゃ」の感じが強かった
しつけとしては、ある意味「効いて」いたにゃ。子どものころから何年もたった大学生になっても、望まれたふるまいは続いていた。
ただ、それは「したいから」より「しないといけないから」に近かったにゃ。
そのまわりには、こんな気持ちがついてきていたにゃ。最初の吹き出しを思い出してみてにゃ。
「やっと終わった。…で、次は?」。満足が長くもたず、すぐ次の物差しが来る。
「まだ顔が熱くなる」。できなかったことが、自分の値打ちの話になってしまう。
「昨日は好きだったのに」。値打ちが「できたかどうか」に結ばれているから、日によって上下する。
4つの物差しの中で、結びつきがいちばんはっきりしていたのは「気持ちを見せない」だったにゃ。研究者たちは、内側からわいてくる気持ちを止めるのは、ほかの3つよりせめぎあいが大きいからではないか、と考えているにゃ。
もうひとつ。条件つきと感じていた人ほど、「親に認めてもらえていない」と感じ、子どものころ親に腹が立つことが多かった、とも答えていたにゃ。
同じ論文の研究1は、3世代にまたがっていたにゃ。
大学生の娘をもつ母親124人に、自分の親(娘から見れば、おじいちゃん・おばあちゃん)が、勉強のことで条件つきの愛情を見せたかを聞いた。そして娘たちには、その母親のことを聞いたにゃ。
自分の親から「勉強ができたときだけ」と感じていた母親は、娘からどう見られていたと思う?
そう感じていた母親たちは、自分への評価が低めで、ストレスをうまくやりすごす工夫も少なめだったにゃ。「子どもの考えを尊重する」子育てにも、あまり賛成しない傾向があった。
研究者たちが目を引かれたのは、つらさを味わった本人が、同じやり方を次の世代でくり返していたことにゃ。
ひとつ、大事なことがあるにゃ。この研究の「条件つき」は、子どもの側がどう感じたかで測っていたにゃ。
親のほうは、そんなつもりはなかったかもしれない。それでも、子どもが感じたことは、子どもにとっては本物だったにゃ。どちらか一方だけが正しい、という話ではなさそうにゃ。
アソールさんたちが土台にしたのは「自己決定理論」という考え方にゃ。親の物差しを、自分で納得しないまま飲みこむことを「取り入れ」と呼ぶ。
物差しが内側にあるから、親が見ていなくても働く。そのかわり、自分の値打ちが「できたかどうか」に結ばれる。できれば一瞬ほっとして、できなければ恥ずかしい。
この理論では、条件つきの愛情は「愛されたい」と「自分で選びたい」を天秤にかけさせる、とも考えているにゃ。
愛着の研究で知られるイギリスの精神科医ボウルビィは、1970年代から80年代の著作で、子どもは親とのやりとりから「この人は応えてくれるか」「自分は応えてもらえる存在か」という見通しを心の中に作る、と考えたにゃ。
条件つきなら、それは「いい子のときの私なら」という但し書きつきの見通しになるのかもしれない。
ボウルビィは、見通しはくり返すうちに当たり前になって気づきにくくなる、と考えた。一方で、古くなった見通しを見直すことを、心理療法の大事な仕事にあげているにゃ。
②は人を集めて確かめた結果ではなく、観察と考察から組み立てられた理論にゃ。たくさんの研究のもとになったけれど、子どものころの見通しが大人の関係にどこまで続くかは、いまも調べられているところにゃ。
2023年に、31の調査・のべ1万1千人あまりの結果をまとめた分析が出たにゃ。
親の愛情を条件つきと感じていた人ほど、「しなきゃ」の感じと、自分の値打ちが出来しだいで揺れる感じが強く(どちらも中くらいの結びつき)、気分の落ち込みもやや多かった(小さめ)。親や友だち、恋人との近さも感じにくかったにゃ。
おもしろいのは、条件つきの愛情を2つの型に分けて見たところにゃ。
「多めにくれる型」は、いい子のときにいつもより多く抱きしめたり、ほめたりすること。「引っこめる型」は、いい子じゃないときに愛情や関心を減らすこと。0.3 が「中くらい」の目安にゃ。
愛情を引っこめられるほうは、落ち込みと結びつきやすかった。そして、ほめるほうの型でも「しなきゃ」とは、むしろ強めに結びついていたにゃ。
ただ、ほとんどは一度に聞いた調査で、大人になってから子ども時代を思い出して答えたものも多いにゃ。子どもの落ち込みが親の接し方を変える、という逆向きの流れもありうる、と著者たち自身が書いているにゃ。
研究で使われた物差しは、勉強・スポーツ・人への親切・気持ちを見せないこと、の4つだったにゃ。
いまの日本の暮らしでは、「叱るより、ほめて育てる」という言葉もよく聞くようになったにゃ。それでも物差しは、形を変えて、あちこちに顔を出していそうにゃ。
予防接種のあとの、ごく自然なひと言にゃ。研究で結びつきがいちばんはっきりしていたのは、この「気持ちを見せない」物差しだった。
気になるのは、泣いた日の帰り道のほうかもしれないにゃ。泣いた日も、同じように手をつないで帰れていたなら、条件にはなりにくいのかもしれないにゃ。
さっきのまとめでは、「いい子のときに多めに」の型も「しなきゃ」と結びついていたにゃ。ほめるのをやめる話ではないにゃ。
研究者たちがすすめていたのは、子どものふるまいについて話すとき、それをその子の値打ちの話にしないことにゃ。「最後まで書けたね」と「えらい子だね」は、似ているようで、届く先がちがうのかもしれないにゃ。
研究1の母親たちは、大学生の娘がいる年になっても、子どものころの「条件つき」と、いまの自分への評価が結びついていたにゃ。
実家に電話するとき、うまくいっている話だけを選んでいないかにゃ。調査はそこまで聞いていないけれど、「心配かけたくない」の中に、「がっかりされたくない」が少し混ざっていることも、あるかもしれないにゃ。
子どものころ、いちばん「これができたら」と感じていたのは?

「いい子でいます。
だから、愛してください。」
研究で見えたのは、
その契約が、大人になっても
きちんと守られていたことにゃ。
泣かない。人にやさしくする。がんばる。
研究所のねこたちがおもしろいと思ったのは、
重たかったのが
ふるまいそのものでは
なかったことにゃ。
同じ学生たちの答えでは、
「自分で選んでいる」と感じられる
ふるまいほど、
満足がすぐ消える感じは弱かったにゃ。
やさしさも、がんばる力も、
たぶん、あなたのものにゃ。
契約書から消したいのは、
ふるまいの欄じゃなくて、
「だから」の三文字のほう
なのかもしれないにゃ。
がっかりしたのは、
そのこと。
あなたじゃない。
研究者たちが親たちにすすめたのは、
この分け方だったにゃ。
うまくいかなかった日は、
自分にも同じ文で言ってみる。
「資料は、まにあわなかった」。
そこで、文をいったん終わらせる。
「だから私は」と続けたくなったら、
そこに句点。
…研究所のねこは、
花びんを落とした日も、
ちゃんと晩ごはんをもらっているにゃ。🐾
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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