
…腹が立つと赤く、こわいと白く。胃は気持ちといっしょに動いていたにゃ。
こんな会話、ないにゃ?
「気にしすぎ」「気の持ちよう」。
そう言われると、
痛い自分が悪いような気がしてくるにゃ。
でも、気持ちが変わったとき、
胃の中ではほんとうに
何かが起きているのかにゃ。
1940年代のはじめ、ニューヨークの病院に、トムさんという57歳の男性がいたにゃ。
9歳のとき、熱すぎるスープを飲んで食道がふさがってしまった。それからお腹に、胃までつながる小さな穴が開いたまま。食べ物は口でかんでから、じょうごでその穴に入れて暮らしてきたにゃ。
医師のウルフさんとウォルフさん(1943年)は、トムさんに研究室の仕事を頼んで、毎朝、食事の前にその穴から胃の中を見せてもらったにゃ。
胃の色、胃液の量、胃の動き。それをその日のトムさんの気持ちと照らし合わせたにゃ。気持ちはわざと怒らせたりせず、暮らしの中で起きたできごとをそのまま使ったにゃ。
ある朝、トムさんは前の日のことで腹を立てていたにゃ。病院の窓口で書類を持って行ったり来たりさせられたあげく、帰してもらえなかった。「あの人の首をつかんでやりたい」と言うほどだったにゃ。
腹が立ってしかたない朝、トムさんの胃はどうなっていたと思う?
別の朝には、逆のことが起きたにゃ。
怒った様子の医師が部屋に入ってきて、引き出しをあけては何かを探しはじめた。トムさんは前の日、その書類を片づけるときにどこかへやってしまっていた。見つかったら仕事を失うかもしれない。トムさんは黙って動かず、顔は真っ青になったにゃ。
医師が書類を見つけて出ていくまでの5分間、胃は白っぽいままだったにゃ。出ていったあと、少しずつ元の色に戻ったにゃ。
悲しくて、自分を責めていた朝も、胃は白っぽく静かだったにゃ。いつもなら胃液がたくさん出るスープを入れても、反応はいつもの3分の1ほどだったにゃ。
胃液が増え、動きも強くなる。食べる準備をしているのに、トムさん本人は食欲がなかったにゃ。
胃液が減り、動きもゆっくりに。少し胸がむかむかして、食べたくなくなったにゃ。
もうひとつ、ほっとする結果もあったにゃ。腹を立てていた朝、医師たちが話をそらしたり、気持ちが落ち着く話をしたりすると、胃のはれも引いていったにゃ。
気持ちが胃を変えるなら、気持ちがほどけると胃もほどける。痛みが「気のせい」じゃないのと同じくらい、落ち着くのも気のせいじゃなかったにゃ。
なぜそうなるのかには、いくつかの説明があるにゃ。それぞれ、どこから来た考えなのかを分けて並べるにゃ。
ウルフさんたちは、こう考えたにゃ。言い返したい・戦いたい気持ちのときは、胃も「さあ食べるぞ」と前のめりになる。逃げたい・引っこみたい気持ちのときは、胃も休んでしまう。ただ本人たちも、トムさんひとりの胃から、すべての人がこうだとは言えない、と書いているにゃ。
腸には2億〜6億ほどの神経細胞があって、背骨の中の神経(脊髄)と同じくらいの数になるにゃ。そのため「第二の脳」と呼ばれることもあるにゃ。2011年に脳と腸のやりとりをまとめた論文では、頭からお腹へ、お腹から頭へ、道は両方向だと整理しているにゃ。
検査で異常が見つからないのに、お腹の痛みや下痢・便秘が続く「過敏性腸症候群」。脳の画像の研究18本をまとめると、この人たちは、お腹をふくらませる刺激に脳が大きく反応していたにゃ。お腹からの知らせが大きいのか、脳が大きく受けとっているのかは、まだわかっていない。そのあいだで、不安とお腹の痛みがぐるぐる回るのではないか、という見立てがあるにゃ。
2004年、九州大学のチームは、腸に細菌がいないマウスでは、ストレスをかけたときにストレスホルモンが大きく上がることを見つけたにゃ。2011年の別の研究では、乳酸菌の一種を与えたマウスで、ストレスのあとのストレスホルモン(ネズミのコルチコステロン)が少なく、不安そうなふるまいも減った。迷走神経(お腹と脳をつなぐ神経)を切ったマウスでは、その変化は出なかったにゃ。
腸の細菌の話は、どれもマウスでわかったことにゃ。人で同じことが起きるのかは、まだ確かめている途中。「この菌を食べれば不安が消える」とまでは言えないにゃ。
トムさんの観察は、ひとりの、それも特別な胃の記録にゃ。
そのあと1980年代に、胃潰瘍の多くはピロリ菌という細菌や、痛み止めの薬で起きるとわかったにゃ。それで「ストレスで潰瘍ができる」という話は、いったん古い考えのように扱われるようになったにゃ。
2011年の東日本大震災のあと、東北大学のチームが、被災地の真ん中にある7つの病院の記録を調べたにゃ。震災のあとの3か月と、前の年の同じ3か月を比べたにゃ。
潰瘍の数そのものも、前の年の1.5倍に増えていたにゃ。
研究チームは、大きな心の負担だけでも潰瘍が起きうることを示している、と考えたにゃ。
これは、ふだんの「お腹がきゅーっ」が潰瘍になる、という話ではないにゃ。潰瘍の多くは、いまもピロリ菌や薬が原因にゃ。ただ、気持ちと胃がつながっていることは、トムさんひとりの話ではなかったにゃ。
トムさんの胃の変化は、医師たちが目で見て測れたにゃ。
いまの私たちには、胃の中をのぞく窓はない。わかるのは、キリキリ・ずーんという感じだけにゃ。
トムさんの胃は、おいしいものの話をするだけで赤くなり、胃液が出たにゃ。考えるだけで胃は動く。だとしたら、明日の会議を思い浮かべた日曜の夕方にお腹が重くなるのも、ふしぎじゃないのかもしれないにゃ。
健診や病院で胃カメラをのんで、「きれいですよ」と言われる。ほっとする一方で、「じゃあこの痛みは何?」と置いていかれた気持ちになる人もいるにゃ。見える傷がなくても、胃や腸の働きの不調として、お医者さんが名前をつけて診る症状があるにゃ。痛みが続くなら、そう伝えて相談していいにゃ。
「幸せホルモンのセロトニンは9割がお腹にある」と、腸活の話でよく聞くにゃ。体のセロトニンの大部分が腸にあるのはほんとう。でも腸のセロトニンは脳にはほとんど入れず、お腹を動かすなど別の仕事をしているにゃ。脳のセロトニンは、脳の中で別に作られている。発酵食品でお腹の調子がいい朝は、それはそれでいい朝。ただ「お腹で作った幸せホルモンで気分が上がる」は、そのままは言えないにゃ。
気が重いことがあるとき、あなたのお腹はどれに近い?

ウルフさんたちが毎朝書きとめたのは、
胃の色だけじゃなかったにゃ。
前の日、病院の窓口で
何があったか。
いま、だれが部屋に入ってきて、
何を探しているか。
胃の記録のとなりには、いつも
トムさんの一日が並んでいたにゃ。
腹を立てていた朝の胃は、
前の日の窓口のことを、
次の朝まで持っていた。
こわかった5分間が過ぎると、
少しずつ元の色に戻っていった。
胃の色だけを見ていたら、
どれも「赤い朝」「白い朝」で
終わっていたにゃ。
ひとりの、特別な胃の記録にゃ。
そこから病院のひとことまで
つなげてみるのは、
研究所のねこたちの思いつきにゃ。
「ストレスですね」は、
記録の胃の欄だけを
読み上げたようなものかもしれないにゃ。
となりの欄の、その日に何があったかは、
胃カメラには写らない。
そこを書けるのは、
毎日その体で暮らしている
あなたのほうにゃ。
「気のせい?」への、
ねこたちの答えにゃ。
「気のせい」じゃなくて、
気持ちのせいで、
ほんとうに起きていること。
気持ちが胃をはらすなら、
ほどけるときも、同じ道を通るにゃ。
トムさんの胃のはれが引いたのは、
医師たちが話をそらしたり、
落ち着く話をしたりした朝。
となりの欄には、
そういう朝のことも
ちゃんと書いてあったにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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