🔬 猫の国 研究所
「家事手伝うよ」
という言葉が、
実は妻を疲弊させていた
かもしれない理由
…「手伝い」という言葉には、
見えない所有関係が隠れてるにゃ。
こんな言葉、聞いたことないにゃ?
善意で言ってる。
感謝もしてる。
なのに、どこかで引っかかる。
その違和感、
言葉の構造に原因があるかもしれないにゃ。
社会学者のHochschild博士が1989年の名著「The Second Shift」で指摘した、言葉の構造分析にゃ。
「手伝う」という動詞は、
主体性を相手に置いてる
言葉にゃ。
「私はあなたの仕事を手伝う」
=「これはあなたの仕事で、
私は補助に来ただけ」
夫が「家事を手伝う」と言うのは、
家事が妻のもの
という前提を、
言葉で再生産しているにゃ。
彼に悪意はないにゃ。
たぶん、自分の親世代がそう言ってきたから、
自然にその語彙を使ってるだけにゃ。
でも、その言葉を聞くたびに、
あなたは主体性を確認させられるにゃ。
「ああ、これは私の仕事なんだ」と。
「手伝うよ」は、
優しさの言葉にも聞こえるし、
所有関係の宣言にも聞こえる。
どちらかが正解じゃないにゃ。
ただ、聞き手によって
別の意味が立ち上がる、
ということにゃ。
カリフォルニア大学のColtrane博士の家族研究で見えてきたパターンにゃ。
父親世代の発言を観察すると——
「ママを手伝ってあげなさい」
「主婦の仕事を手伝うなんてエライ」
「俺は手伝ったほうだ」
「手伝う」という語彙は、
家事=女の仕事という前提とセットで、
男の子に渡されてきたにゃ。
夫が「手伝う」と言うのは、
育つ過程で受け取った語彙を
そのまま使ってるだけにゃ。
これは男性個人の問題じゃなくて、
言語の継承の問題にゃ。
だから「手伝うって言わないで」と
突きつけるより、
別の語彙を渡してあげるほうが、
根本的に変わるかもしれないにゃ。
アムステルダム大学のKomter博士の研究は、夫婦の中での「隠れた権力」を言葉から解読したにゃ。
夫婦の家事を会話分析した結果——
「手伝う」を使う夫:
→ 自分の貢献率を過大に評価
→ 家事の主体性は妻にあると思っている
「やる」「分担する」を使う夫:
→ 貢献率の自己評価が妻の評価と近い
→ 家事を共同責任として捉えてる
言葉が、認識を作るにゃ。
認識が、行動を作るにゃ。
「手伝う」→「やる」「分担する」
単語ひとつ変えるだけで、
責任の重みが変わる。
そしてそれは、
行動の頻度や質にも
影響してくることがあるにゃ。
ここまでのデータを並べて、
研究所が思ったことを書くにゃ。
「家事手伝うよ」
「俺、けっこうやるほうだよ」
その言葉を聞いて、
*ありがとうって言いつつ、
どこかでモヤッとした*こと。
あなたが変なんじゃないにゃ。
モヤッとする理由が、
ちゃんと言葉の構造にあったにゃ。
でもにゃ。
Hochschild博士やColtrane博士のデータが見せたのは、
彼が「手伝う」と言うのは
*悪意じゃなく、
育つ過程で受け取った語彙*
だったということにゃ。
彼の父親が、その父親が、
そう言ってきた。
それが家庭内で使う標準語として
彼の中にインストールされてるにゃ。
これはひとつの見方にゃ。
でも研究所のねこたちが思うのは——
言葉は、意外と簡単に書き換えられる
ことにゃ。
「手伝うよ」と言われた時に、
「うん、ありがとう」と返しつつ
さりげなく
「うちの担当ね、それは」と返してみる。
「分担してくれてありがとう」と言ってみる。
Komter博士のデータでは、
*言葉の使い方が変わると認識が変わり、
認識が変わると行動が変わる*
というパターンが見えてるにゃ。
もちろん、これは長期戦にゃ。
一度や二度で変わらない。
でも、言葉の置換は
あなたが疲れずにできる工夫にゃ。
「家事は二人のもの」を
*さりげなく、繰り返し、
言葉で実演する*。
それは、責めるんじゃなくて、
新しい標準語を一緒に作る作業にゃ。
最後にひとつだけにゃ。
「手伝うよ」は、
悪意じゃない。
でも、
所有関係を再生産する語彙
でもあるにゃ。
モヤッとする違和感には、
ちゃんと理由があるにゃ。
言葉をひとつだけ
書き換えてみる。
「手伝う」じゃなくて「分担する」「やる」。
小さな変化だけど、
認識と行動が、ゆっくり追いついてくる
ことがあるにゃ。
「夫は家事をしてる」と「妻が家事を回してる」は、別の労働だった?
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