
…誘った人は、あなたが思うほど「断られたこと」を見ていないのかもにゃ。
こんなこと、ないにゃ?
行ってみたら、楽しかった日もある。
でも、金曜の夜から
ずっと気が重い日もある。
断れなかったのは、
相手がこわい人だからじゃない。
「がっかりさせるかも」が、
先に口を動かしていた。
その「がっかり」は、
ほんとうはどのくらいの大きさなのかにゃ。
アメリカの研究者ギヴィさんとカークさん(2024年)は、まず、人がどのくらい「断れずに」誘いを受けているのかを聞いてみたにゃ。
「断ったあとのことが心配で、行きたくない誘いを受けたことがある」と答えた人は、どのくらいいたと思う?
そこでふたりは、5つの実験で、あわせて2,000人あまりに協力してもらったにゃ。
たとえば、ある実験では、友だちから「土曜の夜、有名なシェフのお店に行かない?」と誘われる場面を読んでもらったにゃ。半分の人は、断る側。「昼に予定があるし、夜は家でゆっくりしたいから」と断ったつもりで、友だちがどう感じるかを予想する。もう半分の人は、誘った側。同じ理由で断られたつもりで、自分の気持ちを答えるにゃ。
別の実験では、本物のカップルに来てもらったにゃ。ひとりが、映画やごはんやハイキングなど、行きたいところへの誘いを書く。もうひとりがそれを読んで、「家でゆっくりしたいから」と断りの返事を書く。そのあと、ふたりが別々に、自分の気持ちと、相手の気持ちの予想を答えたにゃ。
断る側の予想と、断られた側のほんとうの気持ち。比べると、どうだったと思う?
断る側が思うより、断られた側は
・怒っていなかった
・がっかりしていなかった
・「私のことを大事に思っていない」と
受け取っていなかった
・「もう誘わない」とも思っていなかった
カップルの多くは、5年以上いっしょにいるふたりだったにゃ。相手のことをよく知っていても、断ったあとの相手の顔は、実際よりけわしく思い浮かべていたことになるにゃ。
もうひとつ、目をとめたいのは断る理由にゃ。実験の理由は、「家でゆっくりしたい」だけ。どうしても外せない用事ではなかったにゃ。
それでも、断られた側は、断る側が心配するほどには気にしていなかったにゃ。
研究者たちが確かめた説明は、こうにゃ。
断る側は、相手が「断られた」という出来事そのものに目を向けると思っている。けれど断られた側は、「疲れてるのかな」「今週忙しかったのかな」と、断る前に相手の頭に浮かんだことのほうを考えていたにゃ。
断る側は、自分の「行けない」だけが相手の前に置かれる気がしている。誘った側には、そのうしろにある事情まで、思っているより見えていたにゃ。
断れないことには、ほかにもいろいろな説明があるにゃ。研究で確かめられたものと、そうでないものがまじっているので、分けて置いておくにゃ。
仲間はずれにされたときの脳の反応が、体の痛みと似ていたという2003年の研究から広まった説にゃ。のちに、脳の反応の形はちがうという研究も出て、議論が続いているにゃ。
感情の警報が考える力を乗っ取る、という「扁桃体ハイジャック」は、1990年代の一般向けの本で広まった言い方にゃ。あの瞬間の感じをうまく言い当てているけれど、脳の仕組みとして確かめられたものではないにゃ。
アメリカのセラピスト、ピート・ウォーカーさんは、こわい相手の機嫌をとって自分を守る反応を「なだめる(fawn)」と名づけたにゃ。断ると本当に怒る人のそばで育つと、断る前に体が「いいよ」と言うようになる、という見立てにゃ。
この見立ては、人を集めて確かめた研究ではなく、カウンセリングの現場から出てきたものにゃ。
そして、実験の「心配しすぎ」とは、ちがう場所の話でもあるにゃ。断ると本当に怒る相手がいるなら、その心配は見積もりちがいではなく、経験から学んだことにゃ。
同じずれを、反対側から見た研究もあるにゃ。2008年のアメリカの研究では、学生に、キャンパスで知らない人に頼みごとをしてもらったにゃ。携帯電話を貸してもらう、アンケートに答えてもらう、ジムまで数ブロック案内してもらう。
頼む前の学生は、「いいよ」と言ってもらえる見込みを、
最大で半分ほど低く見積もっていた
研究者たちが見つけた理由は、頼む側が「引き受ける手間」ばかり考えて、「面と向かって断る気まずさ」を見落としていたことだったにゃ。
つまり、頼む人は断るのをかんたんなことだと思っていて、断る人は断るのを大ごとだと思っている。「NO」の重さは、言う側にだけ、ずっしりとかかっていたにゃ。
ただ、どちらの研究もアメリカで、ごはんや小さな頼みごとのような、気軽な場面のものにゃ。結婚式のような大きな誘いや、上下関係のある相手、日本の人づきあいで同じになるかは、まだ確かめられていないにゃ。
実験の人たちは、「家でゆっくりしたいから」と、まっすぐ断っていたにゃ。
いまの私たちの断り方は、もう少しまわり道をしているかもしれないにゃ。
ほんとうは何もない土曜なのに、予定をひとつこしらえる。「ゆっくりしたい」では失礼な気がして、理由を立派にしたくなるにゃ。実験の断る理由は、その「ゆっくりしたい」そのものだったにゃ。理由をこしらえなくても、断りの返事として、ちゃんと通じていたにゃ。
断りきれずに、返事を当日まで持ち越す。断る側の頭の中で「NO」が大ごとになっているほど、はっきり言うのを先のばしにしたくなるのかもしれないにゃ。そのあいだ、気が重いのは自分のほうにゃ。あいまいな返事が相手にどう届くかは、研究はそこまで調べていないにゃ。
実験の最後では、先に「誘う側」をやってから「断る側」になった人は、見積もりのずれがなくなっていたにゃ。飲み会の出欠をとったとき、欠席の返事を見て、何を思ったか。「忙しいのかな」「また今度だな」くらいだったなら、あなたの「いいえ」も、たぶん同じくらいの重さで届くにゃ。
行きたくない誘いが来たとき、いまのあなたに近いのはどれ?

同じ「いいえ」が、
頼む側に立つと、軽く見える。
断る側に立つと、重く見える。
ふたつの研究は、それを
両側から見ていたにゃ。
人が変わったわけじゃなく、
立つ場所が変わっただけにゃ。
先に誘う側をやった人は、
ずれがなくなっていたくらいにゃ。
断れなかった自分を
「気が弱い」と責める前に、
その重さが、どこで量られたものかを
思い出してみるのはどうかにゃ。
たいていは、自分の頭の中の
はかりで量っている気がするにゃ。
ただし、はかりがまちがっていない相手もいるにゃ。
断るたびに不機嫌になる人、
断ったことをあとまで持ち出す人。
そういう相手の前で「いいよ」が出るのは、
心配しすぎではなく、身を守る知恵にゃ。
断ったら怒鳴られる、
あとで仕返しをされる。
そこまでの相手なら、
見直すのはあなたのはかりではなく、
その関係のほうにゃ。
それは、外にいる信頼できる人やニャンタル、
専門家といっしょに考えることにゃ。
2,000人あまりの答えから、
ひとつだけにゃ。
断られた人が考えていたのは、
「断られた」より
「どうしたのかな」だったにゃ。
あなたが誘って、
断られた日のことを覚えてる?
そのとき思ったことが、
いちばん近い答えかもしれないにゃ。
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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