
…やきもちを「愛のしるし」と感じるのはなぜか、研究所で調べてみたにゃ。
「束縛はイヤ」という人が多いなかで、
少しくらい縛られたい、と思う自分がいる。
やきもちを焼かれると、
愛されている気がする。
その気持ちは、
どこから来るのかにゃ。
アメリカの心理学者、プエンテさんとコーエンさん(2003年)は、大学生に夫婦の場面を示して、夫のふるまいをどう見るかを聞いたにゃ。
最初の調査は156人。妻がほかの男性と親しくしているのを、夫が見かける場面にゃ。妻のふるまいが気になるものになるほど、やきもちを焼いた夫のほうが「妻を愛している」と見られたにゃ。
次の調査では、夫婦げんかの場面を使ったにゃ。きっかけが、やきもちのけんかと、別のことのけんか。そして、けんかの最後に夫が妻をたたいた場合と、たたかなかった場合を比べたにゃ。
やきもちが理由で妻をたたいた夫。たたかなかった夫と比べて、「妻を愛している」と見られた度合いは?
やきもちが理由で妻をたたいた夫も、
たたかなかった夫と同じくらい
「妻を愛している」と見られた。
やきもちと関係のないけんかでの暴力は、
はっきり悪く見られた
学生たちが、暴力をいいと思っていたわけじゃないにゃ。ほかの理由でたたいた夫は、ちゃんと悪く見られていたにゃ。
でも「やきもちだった」と聞くと、同じたたくことが、愛の行きすぎに見えてしまう。
研究者たちは、「やきもちは愛のしるし」と「愛があるならしかたない」がつながると、家の中の暴力が、それほど悪くないものに見えてしまう、と心配していたにゃ。
3つめの調査では、夫から妻への、心への暴力や性的な暴力でも、同じことが起きていたにゃ。
これは、あなたの「聞かれたい」にもつながる話にゃ。「どこにいるの?」がうれしいのも、気にしてくれる=愛してるという、同じ読み方から来ているのかもしれないにゃ。
12世紀に書かれた、恋の作法の本があるにゃ。そこには「やきもちを焼かない者は、愛することができない」という決まりが書かれていたにゃ。
やきもちを愛のあかしと見る考えは、ずいぶん古くからあるにゃ。
もうひとつは、心のほうの説明にゃ。大人の愛着を調べてきた研究者たちは、「見捨てられるかも」という不安が強いときほど、人は相手が気にかけてくれているしるしを探す、と考えているにゃ。
「誰といたの?」は、そのしるしに見えやすい。聞かれた瞬間、まだ大事にされている、と確かめられる気がするからかもしれないにゃ。
でも、最初の調査の学生たちは、やきもちは「自信のなさのしるし」だとも答えていたにゃ。
やきもちが映しているのは、相手への愛の大きさより、焼いている人の不安のこともあるにゃ。
2016年、ブラジルの大学生264人で、同じ調べ方をくり返した研究があるにゃ。けんかのことを語る夫の声を聞いてもらって、どう見えるかを答えてもらったにゃ。
たたかなかった夫が、いちばん「愛している」と見られたにゃ。それでも、たたいた夫どうしで比べると、やきもちが理由のほうが高かったにゃ。
ブラジルでは、たたかなかった夫のほうが、はっきり「愛している」と見られたにゃ。暴力はだめ、という見方は、アメリカの結果より強かったにゃ。
それでも、「やきもちだったから」は、国が変わっても暴力の見え方をやわらげていたにゃ。
5つの国で、パートナーからの暴力について人々の話を聞いた研究をまとめたものでも、やきもちは、相手を見張ったり、縛ったりする理由として語られていたにゃ。
研究の夫たちは、妻がほかの男性と話しているのを、その場で見かけていたにゃ。離れているあいだ相手がどこにいるかは、聞くしかなかったにゃ。
いまは、聞かなくてもわかってしまうにゃ。
地図の上に、相手のアイコンが出る。「気にしてくれてる」と安心する人もいれば、ずっと見られているようでしんどい人もいるにゃ。同じアプリでも、どちらからでも「もうやめたい」と言えるかどうかで、意味が変わるのかもしれないにゃ。
国のDVの説明には、心への暴力の例として「実家や友人とつきあうのを制限したり、電話や手紙を細かくチェックしたりする」が挙がっているにゃ。いまなら、トークの履歴や、SNSのフォローの一覧かもしれないにゃ。「やきもちだから」と言われると、それが愛に見えてしまう。研究の学生たちと、同じ読み方にゃ。
「どこにいるの?」と聞かれてほっとする人は、相手にも同じことを聞きたくなるかもしれないにゃ。返事がないと、落ちつかない。研究が調べたのは、場面を見た人の受け取り方までだけれど、縛られたい気持ちと縛りたい気持ちは、同じ不安から出ていることがありそうにゃ。
「この人は、私を気にかけてくれてる」と感じるのは、どんなとき?

「どこにいるの?」と聞かれたい。
やきもちを焼かれると、ほっとする。
その気持ちの真ん中にあるのは、
たぶん「私は、この人にとって
大事なんだ」と確かめたい、
ということにゃ。
それを望むのは、ちっともおかしくないにゃ。
ただ、「気にかけてもらう」と
「行動を決められる」は、
別のものにゃ。
研究の学生たちのように、
やきもちという包み紙がかかると、
この二つは見分けにくくなるにゃ。
アメリカとブラジルの大学生が、
つくられた夫婦の場面に答えた調査にゃ。
ここから先は、そこから読んだ
ねこたちの見立てにゃ。
外から見ていた学生たちでさえ、
「やきもちだから」と聞くと、
暴力の見え方がやわらいでいた。
まわりに打ち明けても
「それだけ好きなんだよ」と
返ってくることがあるのは、
たぶん、同じ読み方のせいにゃ。
相手のやきもちや「見せて」が
こわいと感じる日がつづいているなら、
それはもう、愛の量の話じゃないにゃ。
目を借りるなら、包み紙の中身を
見なれた専門家の目のほうにゃ。
800年あまり前の、
恋の作法の本の
決まりの2番目にゃ。
「やきもちを焼かない者は、
愛することができない」
研究の学生たちも、
まだこの一行で読んでいたにゃ。
そして同じ学生たちが、やきもちを
「自信のなさのしるし」とも読んでいた。
その2番目を、
ねこたちが書きかえてみたにゃ。
「帰りを気にかける者は、
行き先を聞かなくても
愛することができる」
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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