段ボール箱
そっと・4分

段ボール箱:猫の名前を呼ぶ声

匿名の飼い主・4分・そっと

猫を飼い始めたのは、40歳のときだった。

それまで、ペットなんて考えたこともなかった。世話が面倒だし、お金もかかる。自分の生活で精一杯なのに、他の命を預かる余裕なんてない。そう思っていた。

でも、ある日。仕事帰りに段ボール箱の中で鳴いている子猫を見つけた。

放っておけばよかった。誰かが拾うだろう、保護団体に連絡すればいい。そう思った。でも、その日は雨だった。箱はびしょ濡れで、子猫は震えていた。

気づいたら、抱き上げていた。

家に連れて帰って、タオルで拭いて、温めた牛乳を飲ませた。子猫は小さな声で鳴いた。それから、私の膝の上で眠った。

翌日、動物病院に連れて行った。生後2ヶ月くらいだと言われた。「飼うんですか?」と聞かれて、少し迷った。でも、結局「はい」と答えていた。

名前は「タマ」にした。ありふれた名前だけど、それがよかった。

最初の数日は戸惑った。猫の世話の仕方もわからないし、夜中に鳴かれて眠れない。仕事から帰ると部屋が散らかっている。「やっぱり無理だったかな」と思った。

でも、一週間が過ぎた頃、変化に気づいた。

「タマ、おはよう」

朝、そう声をかける。タマは小さく鳴いて、私の足に体を擦りつける。それだけで、心が温かくなる。

「タマ、ただいま」

仕事から帰ると、玄関で待っている。疲れていても、その姿を見ると少し元気が出る。

「タマ、おやすみ」

夜、布団に入る。タマは私の横で丸くなって眠る。その寝息を聞きながら、私も眠りにつく。

気づいたら、私は毎日タマの名前を呼んでいた。

朝も、昼も、夜も。何気なく、自然に。それまでの私は、家で誰とも話さなかった。独り言も言わなかった。ただ、静かに、一人で生きていた。

でも、タマが来てから、声を出すようになった。「お腹空いた?」「今日は寒いね」「いい子だね」。そんな言葉を、毎日タマにかける。

タマは返事をしない。ただ、鳴いたり、私を見たり、近寄ってきたり。それだけ。でも、それだけで十分だった。

いつからか、順番が逆になっていた。私は、タマの世話をしているんじゃない。タマに、生かされている。

タマがいるから、朝起きる。タマがいるから、家に帰る。タマがいるから、部屋を片付ける。タマがいるから、声を出す。タマがいるから、笑う。

一人のときは、何もしない時間が苦痛だった。何かをしていないと、不安になった。でも、タマと一緒にいると、何もしなくていい。ただ、横に座って、タマを撫でる。それだけで、心が落ち着く。

タマは今、5歳になった。私の生活の一部だ。いや、生活の中心かもしれない。

今日も帰ったら、玄関の向こうで待っている。

「ただいま」と言う相手が、この家にはいる。

― 匿名の飼い主

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