← 図書館へ戻る
🪞

「価値がある」と言われても、信じられない

📅 2026-01-06⏱️ 5分✍️ 匿名の信じられない人
自己価値褒められる信じられない基準存在
「あなたには価値があるよ」 そう言われた時、心の中で思った。 嘘だ。 いや、嘘じゃないのかもしれない。言ってる人は、本気でそう思ってるのかもしれない。 でも、信じられない。 私のどこに価値があるんだろう。 仕事は普通。特別なスキルがあるわけじゃない。 顔も普通。スタイルも普通。 何かを成し遂げたわけでもない。誰かを救ったわけでもない。 普通に生きて、普通に毎日を過ごしてるだけ。 それの、どこに価値があるの? カウンセラーに言われた。 「存在そのものに価値があるんですよ」 意味が分からなかった。 存在に価値?何もしてないのに?何も生み出してないのに? 「成果とか結果じゃなくて、あなたがここにいること自体が価値なんです」 頭では分かる。でも、心がついてこない。 だって、社会は結果で動いてる。 仕事ができる人が評価される。お金を稼ぐ人が認められる。何かを成し遂げた人が称賛される。 そういう世界で生きてきた。 「存在に価値がある」なんて、綺麗事にしか聞こえない。 母に言われたことがある。 「あんたは昔から、褒めても信じないよね」 そうかもしれない。 テストで良い点を取っても、「たまたまだ」と思った。 絵を褒められても、「お世辞だ」と思った。 「可愛いね」と言われても、「どこが?」と思った。 全部、信じられなかった。 私の中に、高い基準がある。 「これくらいできて当たり前」「もっとできる人がいる」「私なんてまだまだ」 その基準を超えないと、価値があると認められない。 でも、その基準は、いつも私の少し上にある。 どこまで行っても、届かない。 ある日、友達が泣いていた。 「私、何もできない。価値がない」 私は言った。 「そんなことないよ。あなたには価値があるよ」 言ってから、気づいた。 私、今、自分が信じられない言葉を言ってる。 でも、友達に対しては本気だった。 友達は何も成し遂げてなくても、価値がある。私にとって大切な存在だから。 じゃあ、なんで自分には同じことが言えないんだろう。 帰り道、ずっと考えてた。 友達には「存在に価値がある」と思える。 自分には思えない。 この差は、なんだろう。 たぶん、自分には厳しすぎるんだ。 他人には優しい基準を使って、自分には高い基準を使ってる。 それって、おかしくないか。 でも、基準を下げることができない。 下げたら、ダメな自分を許すことになる。 許したら、もっとダメになる気がする。 だから、高い基準を持ち続けてる。 そうしないと、自分を保てない気がする。 カウンセラーに話した。 「基準を下げるのが怖いんです」 「なぜ怖いんですか?」 「許したら、ダメになりそうで」 「今まで、自分を許したことはありますか?」 「……ないかもしれません」 「じゃあ、許したらダメになるって、想像ですよね」 確かに、そうだ。 許したことがないから、許したらどうなるか分からない。 分からないから、怖い。 「一回、試してみませんか」 「何をですか」 「今日一日だけ、自分に価値があると仮定してみてください。信じなくていいです。仮定でいいです」 仮定。 信じなくていい。ただ、そういうことにしておく。 それならできるかもしれない。 その日、試してみた。 朝起きた。「私には価値がある、ということにしておこう」 信じてない。でも、そういうことにしておく。 仕事をした。「私には価値がある、ということにしておこう」 相変わらず普通の仕事。でも、そういうことにしておく。 夜、帰ってきた。 「今日一日、価値がある自分として過ごした」 不思議な感覚だった。 何も変わってない。でも、少しだけ楽だった。 いつもの「まだ足りない」「もっとやらなきゃ」が、少しだけ静かだった。 今も、自分に価値があるとは思えない。 でも、「そういうことにしておく」はできるようになった。 信じなくていい。納得しなくていい。 ただ、そういうことにしておく。 それだけで、少し息がしやすくなる。 「価値がある」と言われても、信じられない。 それでいいのかもしれない。 信じられなくても、「そういうことにしておく」ことはできる。 いつか信じられる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。 でも、今日も「そういうことにしておく」。 それが、私の精一杯。 精一杯でいい、ということにしておく。 --- *© 2026 匿名の信じられない人*