「あなたには価値があるよ」
そう言われた時、心の中で思った。
嘘だ。
いや、嘘じゃないのかもしれない。言ってる人は、本気でそう思ってるのかもしれない。
でも、信じられない。
私のどこに価値があるんだろう。
仕事は普通。特別なスキルがあるわけじゃない。
顔も普通。スタイルも普通。
何かを成し遂げたわけでもない。誰かを救ったわけでもない。
普通に生きて、普通に毎日を過ごしてるだけ。
それの、どこに価値があるの?
カウンセラーに言われた。
「存在そのものに価値があるんですよ」
意味が分からなかった。
存在に価値?何もしてないのに?何も生み出してないのに?
「成果とか結果じゃなくて、あなたがここにいること自体が価値なんです」
頭では分かる。でも、心がついてこない。
だって、社会は結果で動いてる。
仕事ができる人が評価される。お金を稼ぐ人が認められる。何かを成し遂げた人が称賛される。
そういう世界で生きてきた。
「存在に価値がある」なんて、綺麗事にしか聞こえない。
母に言われたことがある。
「あんたは昔から、褒めても信じないよね」
そうかもしれない。
テストで良い点を取っても、「たまたまだ」と思った。
絵を褒められても、「お世辞だ」と思った。
「可愛いね」と言われても、「どこが?」と思った。
全部、信じられなかった。
私の中に、高い基準がある。
「これくらいできて当たり前」「もっとできる人がいる」「私なんてまだまだ」
その基準を超えないと、価値があると認められない。
でも、その基準は、いつも私の少し上にある。
どこまで行っても、届かない。
ある日、友達が泣いていた。
「私、何もできない。価値がない」
私は言った。
「そんなことないよ。あなたには価値があるよ」
言ってから、気づいた。
私、今、自分が信じられない言葉を言ってる。
でも、友達に対しては本気だった。
友達は何も成し遂げてなくても、価値がある。私にとって大切な存在だから。
じゃあ、なんで自分には同じことが言えないんだろう。
帰り道、ずっと考えてた。
友達には「存在に価値がある」と思える。
自分には思えない。
この差は、なんだろう。
たぶん、自分には厳しすぎるんだ。
他人には優しい基準を使って、自分には高い基準を使ってる。
それって、おかしくないか。
でも、基準を下げることができない。
下げたら、ダメな自分を許すことになる。
許したら、もっとダメになる気がする。
だから、高い基準を持ち続けてる。
そうしないと、自分を保てない気がする。
カウンセラーに話した。
「基準を下げるのが怖いんです」
「なぜ怖いんですか?」
「許したら、ダメになりそうで」
「今まで、自分を許したことはありますか?」
「……ないかもしれません」
「じゃあ、許したらダメになるって、想像ですよね」
確かに、そうだ。
許したことがないから、許したらどうなるか分からない。
分からないから、怖い。
「一回、試してみませんか」
「何をですか」
「今日一日だけ、自分に価値があると仮定してみてください。信じなくていいです。仮定でいいです」
仮定。
信じなくていい。ただ、そういうことにしておく。
それならできるかもしれない。
その日、試してみた。
朝起きた。「私には価値がある、ということにしておこう」
信じてない。でも、そういうことにしておく。
仕事をした。「私には価値がある、ということにしておこう」
相変わらず普通の仕事。でも、そういうことにしておく。
夜、帰ってきた。
「今日一日、価値がある自分として過ごした」
不思議な感覚だった。
何も変わってない。でも、少しだけ楽だった。
いつもの「まだ足りない」「もっとやらなきゃ」が、少しだけ静かだった。
今も、自分に価値があるとは思えない。
でも、「そういうことにしておく」はできるようになった。
信じなくていい。納得しなくていい。
ただ、そういうことにしておく。
それだけで、少し息がしやすくなる。
「価値がある」と言われても、信じられない。
それでいいのかもしれない。
信じられなくても、「そういうことにしておく」ことはできる。
いつか信じられる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。
でも、今日も「そういうことにしておく」。
それが、私の精一杯。
精一杯でいい、ということにしておく。
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