息子が泣いていた。
「ママ、抱っこ」
私は、パソコンに向かっていた。締め切りが明日。資料がまだ終わってない。
「ちょっと待って。今、忙しいから」
息子は、私の足元でしばらく泣いていた。
そのうち、泣き止んだ。一人でおもちゃで遊び始めた。
「よしよし、いい子だね」
そう思った。手がかからなくて、助かる。
仕事が終わったのは、夜中の2時。息子はとっくに寝ていた。
これが、毎日だった。
あの頃、私は必死だった。
時短勤務とはいえ、仕事は山ほどあった。保育園の送り迎え、ご飯、お風呂、寝かしつけ。
一日が終わる頃には、ヘトヘトだった。
「抱っこして」
「絵本読んで」
「一緒に遊んで」
息子のリクエストに、いつも「後でね」と答えていた。
後でね。後でね。後でね。
その「後で」は、結局来なかった。
息子は今、中学生になった。
もう「抱っこ」なんて言わない。「絵本読んで」も言わない。
部屋にこもって、ゲームをしている。話しかけても、「別に」「うん」しか返ってこない。
普通の反抗期。そう思う。
でも、時々考える。
あの時、抱きしめていたら、何か変わっていたのかな。
仕事なんて、どうにでもなった。締め切りは延ばせた。最悪、徹夜すればよかった。
でも、息子の「抱っこ」は、あの瞬間しかなかった。
3歳の息子が「ママ」と泣いていた、あの時間は、もう二度と来ない。
先日、押し入れを整理していたら、息子が小さい頃の写真が出てきた。
笑ってる息子。泣いてる息子。寝てる息子。
私は、ほとんど写っていなかった。
撮る側だったから、じゃない。
一緒にいなかったから。
写真を見ながら、泣いた。
この子は、こんなに小さかったんだ。こんなに私を求めてたんだ。
なのに私は、パソコンに向かってた。
「仕事があるから」
それを言い訳にして、逃げてた。
息子より、仕事を選んでた。
分かってる。あの頃は、仕方なかった。生活のためだった。キャリアを途切れさせたくなかった。
でも、「仕方なかった」で片付けていいのか、今も分からない。
友達に話したことがある。
「私も同じだよ。みんなそうだよ」
そう言ってもらえて、少し楽になった。
でも、後悔は消えない。
息子に聞いてみた。
「小さい頃、寂しかった?」
「覚えてない」
そう言われた。覚えてないなら、いいのかもしれない。
でも、私は覚えてる。
足元で泣いてた息子。一人でおもちゃで遊び始めた息子。
あの背中を、今でも覚えてる。
やり直せない。
それが一番辛い。
タイムマシンがあったら、あの日に戻りたい。パソコンを閉じて、息子を抱きしめたい。
「ごめんね、待たせたね」って言いたい。
でも、戻れない。
だから今、できることをしようと思う。
息子が部屋から出てきた時、「おかえり」って言う。ご飯の時、「美味しい?」って聞く。
返事がなくても、話しかける。
中学生の息子は、もう抱きしめられない。
でも、言葉で抱きしめることはできるかもしれない。
遅いかもしれない。届いてないかもしれない。
それでも、やらないよりはいい。
あの時の後悔を、今の私が少しずつ返していく。
それしか、できないから。
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*© 2025 匿名の母*