修学旅行
ふつう・4分

修学旅行:10円玉の重み

匿名の息子・4分・ふつう

母が10円玉を数えていた。

小学5年生の夏。私は母の部屋の前を通りかかって、その光景を見た。テーブルの上に、たくさんの10円玉。母は一枚ずつ、丁寧に積み上げていた。

「何してるの?」

声をかけたら、母は慌てて10円玉を隠した。「なんでもないよ」と笑った。でも、その笑顔は少し寂しそうだった。

父は、その頃ほとんど家にいなかった。仕事だと言っていた。でも、本当は違った。ギャンブルに溺れていた。家にお金を入れなくなっていた。

母は、パートで働いていた。朝早くから夜遅くまで。それでも、足りなかった。

ある日、私は学校で修学旅行の説明会があった。費用は3万円。それを母に言えなかった。

母が10円玉を数えていたあの姿を思い出したから。

結局、修学旅行には行かなかった。「行きたくない」と嘘をついた。母は不思議そうな顔をしたけれど、何も聞かなかった。

それから20年以上が経った。

私は今、会社員として働いている。結婚もした。子どももいる。お金には、それなりに余裕がある。

母は今、一人暮らしをしている。父とは、私が高校生のときに離婚した。母は今も働いている。60歳を過ぎても、パートを続けている。

先月、母の誕生日に会いに行った。プレゼントを渡した。服と、現金10万円。

母は現金を見て、「こんなにいらないよ」と言った。でも、受け取ってくれた。そして、少し泣いた。

「あの頃、ごめんね」と母は言った。

「何が?」と聞いた。

「修学旅行、行かせてあげられなくて」

私は驚いた。母は、知っていたんだ。私が嘘をついていたことを。でも、何も言わなかった。言えなかったんだ。

「俺、行きたくなかったから大丈夫だよ」

そう言ったけれど、母は首を横に振った。

「嘘って、わかるよ。母親だもの」

その言葉を聞いて、私も泣いた。

あの日、私は修学旅行に行きたかった。でも、母を苦しめたくなかった。だから、諦めた。それは優しさだったかもしれない。でも、同時に、母を傷つけていたんだ。

母は、自分が息子の夢を奪ったと思っていた。20年以上、ずっと。

「ごめん」と私は言った。「もっと素直に言えばよかった」

母は笑った。「いいのよ。あなたが立派に育ってくれて、それだけで十分」

帰り道、私は10円玉のことを思い出した。

母が一生懸命数えていた10円玉。あれは、私のためだったんだ。少しでもお金を貯めて、私に何かしてあげたかったんだ。

お金があれば、あの頃は違ったかもしれない。母も、私も、もっと笑えたかもしれない。

でも、お金がなかったから、私たちは強くなった。感謝することを知った。小さな幸せに気づけるようになった。

今、私は自分の子どもに、何不自由なく育ててあげられる。それは幸せなことだ。でも、時々思う。この子は、10円玉の重みを知るだろうか。母の手の温もりを、あの日の私のように感じるだろうか。

来月も、母に会いに行く。

今度の現金は封筒に入れて、「孫の入学祝いの前借り」とか、適当な名目をつけて渡すつもりだ。

その方が、母は受け取りやすいから。

― 匿名の息子

同じ棚から、もう一冊

研究所道具屋猫の国の地図