元気か、という書き出しがもう使えないことに、十年経っても慣れない。
十年だ。信じられるか。おれは今年、お前の歳をふたつ追い越した。
最後に会ったカフェの話をする。お前は覚えてないかもしれない。仕事の話をして、昔の話をして、お前は笑ってた。少し疲れて見えたけど、あの頃はみんな疲れてたから、数に入れなかった。会計のとき、お前が先に伝票を取って、おれは「次は出すよ」と言った。
次は、なかった。
知らせを聞いた日のことは、書かない。書けるようになったら書こうと思って十年になるから、たぶん一生書かない。
ひとつだけ白状する。あの年の冬、おれはお前のところに行こうとした。夜中に窓を開けて、下を見た。あそこからなら、お前に謝れるような気がしていた。
やめた理由は、立派なものじゃない。窓枠が冷たくて、手を引っ込めた。それで少しだけ我に返って、床に座って、朝まで泣いた。それだけだ。「あいつはおれに生きてほしいはずだ」なんて理屈は、あとから貼った包帯だよ。あの夜は、窓枠が冷たかった。それがぜんぶだった。
墓には、今も行く。行って、報告をする。たいした報告じゃない。仕事を変えたとか、腰をやったとか、お前が好きだった定食屋が潰れて、跡地がコインパーキングになったとか。
風が吹くと、お前が相槌を打った気になる。安い感傷だと自分でも思う。でも、やめない。
ひとつ、練習していることがある。
「大丈夫?」と聞いたあと、「大丈夫」という返事を疑う練習だ。お前の「大丈夫」を、おれは額面どおりに受け取った。それが悔しくて、そこだけは変えた。うまくいってるかは、わからない。この前も後輩の「大丈夫っす」を持ち帰って、夜中に電話した。迷惑そうだった。でも次の日、飯に付き合わされた。そういうことが、たまにある。
あの夜のお前に言えるなら、と考えることがある。
死ぬな、とは、たぶん言わない。言われて止まるものじゃないことくらい、窓枠を握ったおれは知ってる。
そうじゃなくて、朝まででいい、待ってくれと言う。誰かに——おれにでいい——言ってくれと言う。
十年遅れの手紙だから、これはもう、お前には届かない。
だから、間に合う誰かのところに、置いておく。
また来年、墓で会おう。花は持っていかない。お前、花より団子だったろ。
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