行ったことのない街の地図を、ぼんやり眺めるのが好きだ。
スマホじゃなくて、紙の地図。
古本屋で見つけた外国の道路地図とか、旅行ガイドの巻末についてる簡易地図とか。
読めない文字で書かれた通りの名前を、指でなぞる。
この道をまっすぐ行くと、どこに出るんだろう。
この川を渡ったら、何があるんだろう。
この小さな四角は、誰かの家だろうか。
想像するだけ。実際に行くわけじゃない。
行く予定もない。お金もないし、パスポートも期限が切れている。
でも、それでいい。
地図を眺めている間、私はここにいない。
会社のデスクにも、通勤電車にも、散らかった部屋にもいない。
知らない街の、知らない角を曲がっている。
これを始めたのは、ある夜のことだった。
眠れなくて、本棚を漁っていたら、昔買ったヨーロッパの地図帳が出てきた。
パラパラめくっていたら、いつの間にか2時間経っていた。
その間、一度も嫌なことを考えなかった。
それからは、古本屋に行くと地図のコーナーを覗くようになった。
200円くらいで、知らない世界が手に入る。
一番好きなのは、北欧のどこかの島の地図だ。
島の端っこに、小さな灯台のマークがある。
そこに住んでいる人がいるのかいないのか、わからない。
でもなんとなく、一人で暮らしている人がいてほしい。
朝、灯台の階段を降りて、海を見て、コーヒーを飲んでいてほしい。
勝手に物語を作って、勝手に安心している。
馬鹿みたいだと思う。でも、この馬鹿みたいな時間が好きだ。
現実には、明日も仕事がある。
満員電車に乗って、パソコンに向かって、同じ一日を過ごす。
でも鞄の中に、折りたたんだ地図が一枚入っている。
昼休みにそれを広げて、指で道をなぞれば、一瞬だけどこかに行ける。
行けない場所があるから、想像が生まれる。
届かないものがあるから、夢を見られる。
そういうことにしておく。
今夜も、知らない街の地図を広げる。
どこに行こうか。どこにも行かないけど。
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