雨の日が苦手だった。
正確に言うと、雨そのものが苦手なんじゃない。雨の日に、心が重くなる自分が苦手だった。
朝起きて窓の外を見る。灰色の空、濡れた路面、傘を差して急ぐ人々。そんな景色を見るだけで、胸の奥がずしんと沈んでいく。「ああ、今日もか」と思う。何もかもが面倒くさくなる。
30代の頃、そんな日は無理やり自分を奮い立たせていた。「雨くらいで落ち込むな」「みんな頑張ってるんだから」と自分に言い聞かせて、重い体を引きずって出かけた。
でも、ある雨の日。いつものように無理やり外に出て、駅までの道を歩いていた。傘を差しているのに、なぜか涙が出てきた。雨に紛れて、誰にも気づかれない涙。「なんで私、こんなに頑張ってるんだろう」そう思った瞬間、足が止まった。
家に帰った。その日は会社に電話をして、休んだ。初めてのことだった。
部屋に戻って、濡れた服を着替えて、布団に潜り込んだ。罪悪感でいっぱいだった。「こんなことで休むなんて」「私はダメな人間だ」そんな声が頭の中でぐるぐる回っていた。
でも、不思議なことに気づいた。休んだその日、夕方頃にはほんの少しだけ、心が軽くなっていた。何もしていない。ただ、布団の中で雨音を聞いていただけ。それなのに。
その経験が、私を変えた。もしかして、無理に頑張らなくてもいいんじゃないか。雨の日は雨の日として、受け入れてもいいんじゃないか。そう思えるようになるまで、それから何年もかかった。失敗も、自己嫌悪も、たくさんあった。でも少しずつ、雨の日との付き合い方を見つけていった。
今、私は雨の日をこんな風に過ごしている。
まず、雨の日は「調子が悪い日」だと認める。心が重いのは当たり前。それでいい。そう思うだけで、少し楽になる。
できることだけをする。洗濯は諦める。買い物も明日でいい。夕飯は簡単なもので済ませる。予定があれば、可能な限り延期する。罪悪感を感じなくていい。雨の日なんだから。
部屋では、暖かいものを飲む。コーヒーでも、紅茶でも、ただのお湯でもいい。カップを両手で包んで、ゆっくり温まる。窓の外の雨音を聞きながら、ぼんやりする。何も考えなくていい。
もし少し余裕があれば、雨を眺める。傘を差して外に出るんじゃない。窓辺に座って、ただ見るだけ。雨粒が窓を伝う様子を、何も考えずに見ていると、不思議と心が静かになっていく。
これは「対処法」なんて大層なものじゃない。ただ、雨の日を「そういう日」として受け入れただけ。抗わずに、流れに身を任せる。そうしたら、いつの間にか雨の日が少しだけ怖くなくなった。
今でも雨の日は調子が悪い。でも、それでいいんだ。晴れの日もあれば、雨の日もある。人生も、心も、同じだ。
もしあなたも雨の日が苦手なら、無理に頑張らなくていい。雨の日は、雨の日らしく過ごせばいい。それが、自分に優しくするということなんだと思う。
明日は晴れるかもしれない。でも今日は、雨音を聞きながら、ゆっくり過ごそう。
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