朝イチの資料
ふつう・4分

朝イチの資料:「いい人」をやめたら、友達が減った

匿名の元・いい人・4分・ふつう

「ごめん、今日は無理」

その言葉を口にするまで、5分くらい悩んだ。

友達から夜11時に「明日朝イチで提出する資料、手伝ってくれない?」というLINEが来た。いつもなら、「いいよ!」って即答していた。自分の予定をキャンセルして、徹夜で手伝うこともあった。

でも、その日の私は疲れていた。仕事も忙しかったし、明日も朝から予定がある。何より、彼女がいつも直前に頼んでくることに、正直うんざりしていた。

「いい人」でいることに、疲れてしまったんだ。

昔から私は、人に頼まれると断れなかった。友達の引っ越しの手伝い、愚痴を聞く役、お金の貸し借り、飲み会の幹事。誰かが困っていたら、自分のことは後回しにして助けた。

それが優しさだと思っていた。人の役に立てることが、自分の存在価値だと思っていた。

でも、ある日気づいた。私が疲れている時も、誰も助けてくれない。私が困っている時、彼らは忙しいと言って断る。それなのに私は、彼らのためにいつも時間を作っている。

これは優しさじゃない。自己犠牲だ。

そう気づいてから、少しずつ「無理」と言えるようになった。断る時は罪悪感でいっぱいだった。「冷たい人間になってしまった」と自分を責めた。でも、断らないと、私が壊れる。そう思った。

友達は減った。確実に。

急な誘いを断ったら、次から誘われなくなった。愚痴を聞くのを途中で切り上げたら、「変わったね」と言われた。お金を貸さなかったら、連絡が来なくなった。

寂しかった。でも同時に、ほっとした。

本当に大切な人は、残ってくれた。私が「無理」と言っても、「そっか、無理しないでね」と言ってくれる人。私の体調や予定を気にかけてくれる人。ギブアンドテイクが成り立つ関係。

そういう人たちとの関係は、前よりも深くなった気がする。

「いい人」をやめても、人間として終わりじゃなかった。むしろ、自分を大切にすることを学んだ。自分の時間、エネルギー、気持ちには限りがある。それを無限に人に捧げることはできない。

今でも、断る時は心が痛む。「もっと優しくできたんじゃないか」と思う。でも、自分を犠牲にして誰かを助けるのは、もうやめた。それは優しさじゃなくて、自分への裏切りだから。

断ったことで離れていった人は、もともと私自身を大切にしていなかった人だったのかもしれない。今は、そう思っている。

友達が減っても、大丈夫だった。残った人たちとの関係が、本物だったから。

― 匿名の元・いい人

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