16年間一緒にいた猫が、死んだ。
朝、いつものように餌をあげようとしたら、猫は動かなかった。呼吸もしていなかった。体は冷たくなっていた。
「嘘でしょ」
何度も名前を呼んだ。体を揺すった。でも、猫は目を開けなかった。
一人暮らしの部屋で、私は猫の体を抱きしめて泣いた。声を上げて、子どものように泣いた。
この猫は、私が大学生の時に拾った猫だった。段ボールに入れられて、雨の中で鳴いていた。見過ごせなくて、連れて帰った。
それから16年。引っ越しも、転職も、失恋も、すべて一緒だった。辛い時は、猫が膝の上に乗ってきた。嬉しい時は、一緒に遊んだ。猫がいたから、一人じゃなかった。
でも、もういない。
会社に連絡して、休みをもらった。ペット葬儀の業者に連絡して、翌日に火葬の予約をした。それまでの時間、私は猫のそばにいた。
猫の体を撫でながら、思い出を辿った。初めて膝の上に乗ってきた日。爪研ぎで家具をボロボロにされた日。病気になって、夜通し看病した日。朝、私を起こすために顔を舐めてきた日。
どれも、大切な思い出だった。
火葬の日、小さな骨壺を受け取った。16年間の命が、こんなに小さくなってしまった。重さを感じながら、また泣いた。
家に帰っても、猫がいない。餌をあげる必要もない。鳴き声も聞こえない。ただ、静かな部屋があるだけだった。
友達に「猫が死んだ」と言ったら、「次の猫、飼わないの?」と聞かれた。でも、今はまだ無理だった。この猫の代わりなんて、いない。
3日間、ずっと泣いていた。仕事も手につかなかった。ご飯も食べられなかった。ただ、骨壺を抱えて、ぼんやりと過ごした。
でも、4日目の朝、少しだけ気持ちが変わった。
猫は、もう苦しんでいない。老いて、体が動かなくなって、最期は穏やかに眠るように逝った。それは、幸せな最期だったのかもしれない。
そして、16年間、私は猫に愛されていた。猫も、私に愛されていた。それは、確かなことだ。
骨壺を棚に置いて、猫の写真を飾った。毎朝、「おはよう」と声をかけるようにした。猫はもういないけど、思い出は消えない。
今でも、悲しい。猫がいない部屋は、静かすぎる。でも、少しずつ、日常が戻ってきた。
ペットを失うことは、想像以上に辛い。「たかが猫」なんて言う人もいるかもしれない。でも、私にとっては家族だった。その悲しみは、誰にも軽く扱われたくない。
もしあなたも、大切なペットを失ったなら、泣いていい。何日でも、何週間でも。それは弱さじゃない。愛していた証拠だから。
猫は死んだ。でも、私の中で生き続けている。
それだけで、十分なのかもしれない。
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