祖父の葬式で、私は笑ってしまった。
お坊さんがお経を読んでいる最中。周りはみんな静かに手を合わせている。私も、ちゃんとしなきゃと思っていた。でも、ふと、昔のことを思い出してしまった。
祖父が、私に変な顔をして笑わせようとしていたこと。祖父の口癖。「人生なんてな、笑ってりゃなんとかなる」。
その記憶が急に蘇って、私は思わず笑いそうになった。必死に堪えた。でも、唇が震えて、小さく笑い声が漏れてしまった。
隣にいた母が、私を睨んだ。
葬式で笑うなんて、失礼だ。不謹慎だ。祖父に申し訳ない。分かってる。でも、止められなかった。
お経が終わって、親族で焼香をした。私の番が来た。祖父の遺影を見た。笑顔の写真だった。祖父は、いつも笑っていた。
焼香を終えて席に戻る時、また笑いそうになった。今度は涙も一緒に出てきた。笑っているのか、泣いているのか、自分でも分からなかった。
葬式が終わった後、母に言われた。
「あなた、なんで笑ってたの?失礼でしょう」
母は怒っていた。親戚の前で恥ずかしい思いをしたと。でも、私は説明できなかった。なんで笑ったのか、自分でもよく分からなかったから。
ただ、祖父のことを思い出したら、悲しいだけじゃなくて、温かい気持ちになった。祖父との楽しかった記憶が溢れてきて、それが笑いになってしまった。
家に帰って、一人で考えた。私は、祖父を悼んでいないのか。ちゃんと悲しんでいないのか。
でも、そうじゃないと思った。悲しい。すごく悲しい。もう祖父には会えない。それは、確かに辛い。
でも同時に、祖父との楽しい思い出がたくさんある。その思い出を思い出すと、自然と笑顔になってしまう。それは、悪いことじゃないんじゃないか。
数日後、祖母の家に行った。祖母は、一人で祖父の写真を見ていた。
「おばあちゃん」
祖母は振り向いて、少し笑った。
「おじいちゃん、いつも笑ってたね」
「そうだね。葬式でも、きっと笑ってほしかったと思うよ」
祖母はそう言って、私の頭を撫でてくれた。
「お母さんに怒られたんでしょ?でも、あなたは間違ってないよ。おじいちゃん、あなたが笑ってくれて嬉しかったと思う」
その言葉に、救われた。
人の死を悼む方法は、一つじゃない。泣くことだけが、悲しみの表現じゃない。笑うことも、思い出すことも、全部が愛情の形なんだと思う。
葬式で笑ってしまった自分を、私は許そうと思った。それは、祖父への愛の形だったから。
もしあなたも、「こうあるべき」という感情からずれてしまったことがあるなら、自分を責めないでほしい。感情は、人それぞれ。形も、タイミングも、全部違っていい。
祖父は今も、きっと笑っている。そう信じている。
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