荷物をまとめたのは、深夜2時だった。
夫が寝静まった頃。音を立てないように、必要最低限のものだけをバッグに詰めた。服、通帳、印鑑、携帯の充電器。それだけ。
玄関のドアを開ける時、心臓が爆発しそうだった。もし起きてきたら。もし見つかったら。
でも、開けた。そして、走った。
結婚して5年。最初の1年は、幸せだった。優しくて、真面目で、いい夫だと思っていた。
変わったのは、2年目からだった。
仕事のストレスが溜まると、機嫌が悪くなった。小さなことで怒鳴るようになった。でも、暴力はなかった。だから、「これくらい、どこの家庭でもある」と思った。
3年目、初めて殴られた。
夕飯の味が薄いと言われて、謝ったのに、平手打ちされた。頬が腫れた。でも、夫はすぐに謝った。
「ごめん、つい手が出た。もうしない」
涙を流して謝る夫を見て、許した。「ストレスが溜まってたんだ」と思った。
でも、それは始まりだった。
暴力は、少しずつエスカレートした。殴る、蹴る、物を投げる。理由は、些細なことばかり。料理、掃除、言葉遣い。何をしても、怒られた。
私は、いつも謝った。「私が悪いんだ」と思うようにした。そうしないと、やっていけなかった。
友達には会えなくなった。携帯もチェックされた。お金も自由に使えなかった。外出する時は、どこに行くか報告しなきゃいけなかった。
気づいたら、私は檻の中にいた。
ある日、あまりにも酷い暴力を受けた。顔が腫れて、肋骨も痛かった。鏡を見たら、知らない人がいた。
「このままじゃ、殺される」
そう思った。初めて、本気で思った。
次の日、夫が仕事に行った後、DV相談窓口に電話した。震える声で、事情を話した。
「今すぐ、逃げてください。一時保護施設があります」
相談員の言葉に、救われた。
でも、逃げる勇気がなかなか出なかった。「夫も悪い人じゃない」「私が我慢すればいい」「離婚したら、どうやって生きていくのか」。色々な不安があった。
それでも、逃げた。あの夜、荷物をまとめて、家を出た。
一時保護施設に着いた時、安堵と同時に、罪悪感が襲ってきた。夫を裏切ったんじゃないか。もっと話し合えば良かったんじゃないか。
でも、施設のスタッフは言った。
「あなたは、何も悪くない。逃げて正解です」
その言葉に、涙が止まらなかった。
それから半年。離婚は成立した。夫は、最後まで謝罪しなかった。「お前が悪い」と言い続けた。
今、私は小さなアパートで一人暮らしをしている。仕事を見つけて、少しずつ生活を立て直している。
まだ、怖い夢を見る。夫に追いかけられる夢。でも、目が覚めると、ここは安全だと分かる。
DVから逃げることは、簡単じゃない。勇気がいる。でも、逃げなければ、命を失う。
もしあなたも、暴力に苦しんでいるなら、逃げてほしい。「自分が我慢すればいい」は、間違っている。あなたは、守られるべき存在だ。
DV相談窓口、警察、シェルター。助けを求める場所はある。一人で抱え込まないで。
私は、逃げて良かった。今は、毎日が怖くない。それだけで、幸せだと思える。
あなたも、逃げていい。生き延びていい。
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*© 2025 匿名の元妻*