上司に呼ばれた日、昇進の話だった。
「課長になってくれないか」
その言葉を聞いて、最初は嬉しかった。認められたんだ。頑張ってきたことが、報われたんだ。
でも、同時に不安もあった。
「少し、考えさせてください」
そう答えると、上司は少し驚いた顔をした。
「普通は即答だけどな。まあ、いいよ。でも、この話はそう何度もない。よく考えて」
家に帰って、考えた。
課長になったら、給料は上がる。肩書きもつく。周りからの評価も変わる。それは、確かに魅力的だった。
でも、同時に何が起こるか、分かっていた。
残業が増える。責任が重くなる。部下のマネジメント。上からのプレッシャー。休日出勤。家に帰っても、仕事のことを考える毎日。
今の課長を見ていれば、分かる。いつも疲れた顔をしている。家族との時間もない。趣味もない。ただ、仕事だけ。
私は、それが嫌だった。
今の私は、平社員だ。責任は軽い。定時で帰れる日も多い。週末は、ちゃんと休める。趣味の時間もある。家族との時間もある。
給料は多くないけど、生活はできている。それで十分じゃないか。
妻に相談した。
「昇進の話、断ろうと思ってる」
妻は、少し驚いた。でも、すぐに笑った。
「いいんじゃない?あなたが決めたことなら」
その言葉に、背中を押された。
次の日、上司に伝えた。
「申し訳ありませんが、昇進はお断りします」
上司は、明らかに不満そうだった。
「なんで?これはチャンスだぞ。今断ったら、次はないかもしれない」
「分かっています。でも、今の働き方を変えたくないんです」
上司は、ため息をついた。
「もったいないな。まあ、お前の人生だ。好きにしろ」
その後、同僚たちに知られた。「昇進断ったんだって?」と何度も聞かれた。
「なんで?」
「信じられない」
「俺なら即答で受けるのに」
みんな、理解できないという顔をしていた。
でも、一人だけ分かってくれた人がいた。先輩だった。
「いい選択だと思うよ。俺も昔、昇進して後悔した。家族との時間がなくなった。今更戻れないけどね」
その言葉を聞いて、自分の選択が間違ってなかったと思えた。
それから半年。給料は変わらない。肩書きもない。同期は、どんどん昇進していく。
でも、私は幸せだ。
週末、子どもと公園に行く。妻とゆっくり映画を見る。趣味のギターを弾く。そんな時間が、私には大切だった。
仕事だけが、人生じゃない。
昇進を断ったことを、後悔していない。むしろ、よく決断したと思っている。
もしあなたも、キャリアと生活のバランスで悩んでいるなら、自分の価値観を大切にしてほしい。
昇進が正解とは限らない。出世が幸せとは限らない。
自分が何を大切にしたいか。それだけが、答えだと思う。
私は、家族との時間を選んだ。それで、良かった。
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