あの夜、私は睡眠薬を手に握っていた。
1錠、2錠、3錠…数えた。全部で20錠。これを飲めば、もう起きなくていい。そう思った。
「もう、疲れた」
声に出して言った。誰もいない部屋で。
仕事も、人間関係も、すべてがうまくいかない。毎日が辛くて、生きている意味が分からなくて。「消えたい」と思う日が増えていった。
最初は、ぼんやりとした考えだった。「死んだら楽かな」くらい。でも、だんだん具体的になっていった。「どうやって死のう」「いつ死のう」。
そして、あの夜。決行する日だと決めた。
遺書も書いた。両親へ、友達へ、会社の人へ。「ごめんなさい」と書いた。「迷惑をかけてごめんなさい」と。
部屋を片付けた。見られたくないものは捨てた。通帳と印鑑を、分かりやすい場所に置いた。
準備は整った。あとは、飲むだけ。
睡眠薬を手に握った。水を用意した。
「これで、終わりにできる」
そう思った瞬間、手が震えた。
本当にこれでいいのか。本当に、死にたいのか。
頭の中で、色々な声がした。
「楽になれるよ」
「もう頑張らなくていいよ」
でも同時に、別の声もした。
「本当にこれでいいの?」
「明日は、もしかしたら違うかもしれないよ」
その「もしかしたら」が、引っかかった。
明日も、今日と同じかもしれない。でも、もしかしたら違うかもしれない。その可能性を、確かめずに死んでいいのか。
時計を見た。深夜2時。
「朝まで、待ってみようか」
そう思った。朝まで待って、それでも死にたかったら、その時に死ねばいい。
ベッドに横になった。睡眠薬は、まだ手に握ったまま。いつでも飲める。でも、今は飲まない。
目を閉じた。眠れなかった。でも、そのまま横になっていた。
時間が過ぎた。3時、4時、5時。
窓の外が、少しずつ明るくなってきた。鳥が鳴き始めた。朝が来た。
私は、まだ生きていた。
手を開いた。睡眠薬が、手のひらに跡を残していた。でも、飲まなかった。
「今日も、生きてしまった」
そう思った。でも、不思議と悪い気分じゃなかった。
朝日が、カーテンの隙間から差し込んできた。その光を見て、思った。
「とりあえず、今日一日だけ生きてみよう」
それから、病院に行った。精神科。先生に、正直に話した。死にたいと思っていること。昨夜のこと。
先生は、静かに聞いてくれた。そして、言った。
「よく、来てくれましたね」
その言葉に、涙が出た。
治療が始まった。薬も飲み始めた。カウンセリングも受けた。すぐには良くならなかった。でも、少しずつ、霧が晴れていった。
今でも、死にたいと思う日はある。でも、あの夜ほど切羽詰まった感じはない。
「今日一日だけ、生きてみよう」
そう思って、なんとか続けている。明日のことは考えない。ただ、今日だけ。
あの夜、睡眠薬を飲まなくて良かった。朝まで待って、良かった。
もしあなたも、今夜死のうと思っているなら、朝まで待ってみてほしい。明日も同じかもしれない。でも、もしかしたら違うかもしれない。
その「もしかしたら」を、確かめてから決めても遅くない。
私は、朝を迎えた。そして今日も、生きている。
それだけで、十分だと思う。
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