
…なんでもない一言には、「こっち向いて」が入っているのかもしれないにゃ。
日曜日の昼さがり、こんなこと、ないにゃ?
けんかになるほどのことじゃない。
自分でも、すずめくらいで、と思う。
でも、こういう小さな素通りが続いた週は、
週末の言い合いが、なんだか
とげとげしくなる気がするにゃ。
この「ねえ見て」を、
ある研究者たちは呼びかけと呼んで、
ひとつずつ数えたにゃ。
アメリカ・シアトルのワシントン大学で、心理学者のドライバーさんとゴットマンさん(2004年)が、結婚して半年たたない新婚夫婦49組を調べたにゃ。どの夫婦も初婚で、子どもはまだいなかったにゃ。
まず研究室で、ふたりのあいだでずっともめている問題について、15分話し合ってもらったにゃ。録画して、ふたりで笑ったところ、愛情を見せたところに印をつけたにゃ。
その数週間後、夫婦は大学のワンルームで、日曜の朝から24時間を過ごしたにゃ。小さな台所とテレビとソファがあって、窓からは運河が見える。食べ物と週末の楽しみを持ってきてもらって、お願いはひとつだけ。「家にいるときのように過ごしてください」。
朝9時から夜9時までの録画から、研究者たちは夕ごはんの最初の10分を取り出して、ふたりのあいだを行き来する一言を、ひとつずつ見ていったにゃ。
研究者たちは、のちの論文でこうふり返っているにゃ。はじめは、ふたりが心の内を打ち明け合う瞬間を探していた。でも、何百時間もの録画に、そんな場面はほとんど映っていなかった。
かわりに、何度も何度も映っていたのが、相手に向けた小さな呼びかけだったにゃ。
気づいてほしい、いっしょに見てほしい。いちばん軽い呼びかけにゃ。
指ずもうをしかける、ボールを投げてよこす。言葉じゃない呼びかけもあるにゃ。
気持ちを受けとめてほしい。重めの呼びかけにゃ。
呼びかけへの応え方は、大きく3つに分けたにゃ。
「うん」という短いあいづちから、身を乗り出す返事まで。どれも「向く」に入るにゃ。
上の空のまま、話をさえぎる、聞き流す。
「お願い、いま読んでるの」。
研究者たちが見比べたのは、夕ごはんの10分と、数週間前のもめごとの15分にゃ。
夕ごはんで、指ずもうをしかけるようにふざけて誘ったり、相手の呼びかけに待ってましたとばかりに応えたりしていた夫婦。もめごとの話し合いでは、どうだったのかにゃ。
夕ごはんでふざけて誘ったり、うれしそうに応えたりしていた夫婦。もめごとの話し合いでの「ふたりの笑い」は?
ふだんの夕ごはんでじゃれ合い、
うれしそうに応えていた夫婦ほど、
もめごとの最中にも笑いや愛情が多かった
おもしろいのは、そのつながり方にゃ。夫がうれしそうに応えていた夫婦では、もめごとのときに妻のほうが愛情を見せていた。妻がうれしそうに応えていた夫婦では、夫のほうが。
自分の返事は、自分のやさしさではなく、相手のやさしさとつながっていたにゃ。研究者たち自身も、意外だったと書いているにゃ。
それから、もうひとつ。ふざけた誘いも、うれしそうな応えも、めったに起きなかったにゃ。49組の夕ごはんをぜんぶ合わせても、それぞれ12回。ほとんどの夫婦は、10分のあいだ一度もなかったにゃ。
新婚の、日曜日の夕ごはんでも、そうだったにゃ。呼びかけのたびに「わあ!」と返している夫婦なんて、まずいない。研究の「向く」には、短い「うん」も入っていたにゃ。
研究者たちが手がかりにしたのは、2001年に心理学者が示した考えにゃ。よい気分は、一度の大きな出来事より、小さな楽しいことが何日も重なって育っていく、というものにゃ。
それを夫婦に当てはめると、こうなるにゃ。ふだんの呼びかけが通っている夫婦には、けんかの最中にも、ふっと笑える足場がある。
研究者たちは、逆の場合の例も書いているにゃ。ふだんの小さな場面で素通りされ続けた人には、記念日のごちそうひとつでは、ないがしろにされた気持ちは埋まらないかもしれない。
だから、けんかの最中に「やさしくして」と求めるより、ふだんの返事を変えるほうが、手をつけやすいかもしれない、とも書いているにゃ。
もうひとつ、研究者たちが下敷きにした見立てがあるにゃ。夫婦の相談にのってきたセラピストが、1993年の本で示したものにゃ。
「けんかは、ふたりが本当はしたかったのに、できなかった会話から生まれる」。
数を比べた研究ではなく、相談の場で見てきたことから組み立てた臨床家の見立てにゃ。すずめを見てほしかった日の小さなさびしさが、週末に「なんでいつもそうなの」の形で出てくる。そう読むこともできるにゃ。
呼びかけの考えは、研究者のひとりがライターと書いた一般向けの本(2001年)で、夫婦だけでなく、家族や友だちとの関係にまで広げて紹介されているにゃ。
翌年、同じ研究者たちは、同じ新婚夫婦の録画で、今度は「素通り」と「はねつけ」のほうを数えたにゃ。
ふだん素通りが多い人は、けんかでも黙りこむ。ふだんいらだって返す人は、けんかでも責める。そんな「同じ人が、どこでも同じことをする」形は、ほとんど見えなかったにゃ。
かわりに見えたのは、さっきのセラピストの見立てに近い形にゃ。夫が夕ごはんで妻の呼びかけを素通りすることが多い夫婦ほど、もめごとの話し合いで、妻のほうが責めたり言い返したりする話し方が多かったにゃ。逆の組み合わせ(妻の素通りと、夫の責める話し方)では、はっきりしなかったにゃ。
「6年後も続いた夫婦は呼びかけの86%に応え、別れた夫婦は33%だった」という数字を、見たことがあるかもしれないにゃ。これは一般向けの記事などで広まった数字で、この2本の論文の中では確かめられないにゃ。どちらの論文も、夫婦がその後どうなったかまでは追っていないにゃ。
ただ、この2本のもとになった新婚夫婦の研究では、もめごとの話し合いでの笑いや愛情が、6年後の結婚の続き方を見通していた、と報告されているにゃ。
それでも、49組の、夕ごはんの10分にゃ。めったに起きないことどうしの結びつきだから、ほんの数組の夫婦が、数字を大きく動かしているかもしれないにゃ。研究者たち自身も「はじめの手がかり」と書いていて、ふだんの返事を変えたらけんかが変わるのかは、これから確かめることだとしているにゃ。
研究の夫婦は、とくに用事のない日曜日を、ふたりきりの部屋で過ごしたにゃ。数えた呼びかけは、夕ごはんの食卓の向こうから、まっすぐ届いたものだったにゃ。
いまの日本の家では、呼びかけはもっとわかりにくい形をしているかもしれないにゃ。
洗いものをしていたら、うしろから背中をつつかれる。わざとへんな声で名前を呼ばれる。疲れている日には、正直うっとうしいにゃ。
研究で、けんかの最中の笑いといちばん強く結びついていたのは、こういうふざけた誘いだったにゃ。全部に乗らなくていい。「いま手がふさがってるから、あとでね」と笑って返すのは、素通りとはちがうのかもしれないにゃ。
研究の分け方では、いやな言い方で始まる呼びかけも、呼びかけのうちに入っていたにゃ。
「こっち向いて」とまっすぐ言うのは、照れくさい。何度か素通りされたあとなら、なおさらにゃ。だから二度目、三度目は、とげのついた形で出てくることがある。とげに言い返す前に、その下の「こっち向いて」を拾えるかどうか。そこが分かれ道なのかもしれないにゃ。
相手が仕事でずっとつらかったことを、ずいぶんあとになって知る。そんなこともあるにゃ。
研究者たちは、打ち明け話は、小さな呼びかけが何度も通った長い鎖の先に来るものかもしれない、と考えたにゃ。「きれいな船がいる」に「ほんとだ」が返ってくる相手にこそ、人は重い話を持ちこめる。大きな話を待つより、小さな「見て」に返すほうが、近道なのかもしれないにゃ。
「ねえ見て」が素通りされたとき、あなたはどうすることが多い?

「ねえ見て」に返事がなかった。
たったそれだけで
さびしくなる自分を、
小さいなと思うことも
あるかもしれないにゃ。
研究者たちも、はじめは
もっと大きな場面を探していたにゃ。
心の内を打ち明け合う瞬間を。
何百時間もの録画に映っていたのは、
船や、丸めた新聞や、指ずもう。
ふたりの毎日は、だいたい
なんでもない一言でできていたにゃ。
そこでさびしくなるのは、
毎日のまん中で起きたことだからにゃ。
研究所のねこたちが首をかしげたのは、
返事のゆくえにゃ。
夫がうれしそうに応えていた夫婦では、
けんかの最中に愛情を見せていたのは妻のほう。
妻が応えていた夫婦では、夫のほう。
きょうの「ほんとだ」は、
言った人の手もとには残らない。
相手の中にしまわれて、
いつかのけんかの日に、
向こうから出てくるのかもしれないにゃ。
夕ごはんの10分を、49組ぶん。
そこから引いた、細い一本の線にゃ。
「ねえ見て」は、
すずめの話じゃなくて、
いっしょに見ようの話にゃ。
きょう、誰かに「見て」と言われたら、
顔を上げて「ほんとだ」。
あなたが言う側で、
一度素通りされたとしても、
すずめが先に飛んでいっただけ。
あなたの呼びかけが
まちがっていたわけじゃないにゃ。
…研究所のねこは、
窓の外にすずめを見つけたら、
まっさきに知らせに来るにゃ。🐾
猫の国は、優しい人のための場所にゃ。
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