
…自分の手で運んでいる用事でも、部屋を移ると、少しこぼれやすくなっていたにゃ。
こんなこと、ないにゃ?
ついさっきまで、
ちゃんと覚えていたはずなのに。
うっかりなのか、年のせいなのか。
小さく自分を責めたくなるにゃ。
この「あれ?」を、
わざと起こしてみた研究者たちがいるにゃ。
じつはこの「ドアで忘れる」は、2006年に、アメリカのノートルダム大学の研究室が、画面の中の部屋で見つけていたにゃ。大きなスクリーンに映した部屋から部屋へ、物を運んでいく、ゲームのような実験にゃ。
「でもそれ、画面の中の話でしょ?」と思うにゃ。研究者たちも、そこを確かめたかったにゃ。
2011年、ラドヴァンスキーさんたちは、研究室の本物の3つの部屋を使ったにゃ。参加したのは、授業の単位と引きかえに集まった大学生60人にゃ。
テーブルの上の黒い箱を持ち上げると、色つきの積み木が6つ。「赤い立方体」「青い円柱」のような組み合わせにゃ。ひとつずつ箱に入れて、ふたをする。
行き先は、同じ部屋の向こう側のテーブルのときと、ドアをくぐった隣の部屋のテーブルのときがある。
着いたら、まず2分間、3けたの足し算。そのあとノートパソコンに出てくる「赤い立方体」「緑の円すい」などに、箱に入っているかどうかを答える。
ひとりが6回運んで、3回は部屋の中を横切るだけ、3回はドアをくぐったにゃ。同じ人の中で、2つの歩き方を比べたわけにゃ。
箱の中身を間違えやすかったのは、どっちのとき?
部屋の中を横切っただけのとき、100回の答えのうち間違いは23回ほど。ドアをくぐったときは28回ほど。
小さいけれど、偶然だけとは言いにくい差だったにゃ。
「ドアをくぐると記憶が消える」と言われることがあるけれど、まるごと消えたわけじゃないにゃ。ほとんどは覚えていて、ときどき、こぼれる。
台所で立ちつくす「あれ?」も、毎回じゃなくて、たまに起きるにゃ。ちょうど、それくらいの話にゃ。
それでも目を引くのは、こぼれたのが自分の手で運んでいる箱の中身だったことにゃ。まだ用がある物でも、ドアの向こうに着くと、少し取り出しにくくなっていたにゃ。
同じ論文の、ふつうのパソコン画面で部屋をまわる実験(大学生55人)でも、ドアのあとは間違いが増えていたにゃ。画面の中でも、本物の部屋でも、同じ向きだったにゃ。
はっきりした仕組みは、まだ決まっていないにゃ。ラドヴァンスキーさんたちは、自分たちの説(「出来事の地平モデル」と呼んでいる)で、こう説明しているにゃ。
頭は、ひと続きの毎日を、場面ごとに区切って覚えている、という考え方にゃ。部屋を移るのは、わかりやすい区切りのひとつ。区切りを越えると、前の場面のことは少し奥へしまわれるにゃ。
いま居る場面のことは、手前に出ていて取り出しやすい。前の場面のことは、そのぶん取り出しにくくなるにゃ。
箱を持って隣の部屋に来ると、その積み木は「拾った部屋」と「いまの部屋」の、両方の場面に入る。思い出そうとすると、ふたつの場面が同時に呼ばれて取り合いになり、答えが遅れたり、間違えたりする、という説にゃ。
もし「覚えた場所に戻れば思い出せる」のなら、元の部屋に戻ったときは成績がよくなるはずにゃ。同じ論文の3つ目の実験では、画面の中の部屋に、元の部屋へ戻る道を作って確かめたにゃ(大学生48人)。
元の部屋に戻っても、よくならなかったにゃ。間違いがいちばん多かったのは、知らない部屋にもうひとつ入ったときだったにゃ。
ドアの回数は同じ2回でも、新しい部屋がひとつ増えると、間違いが増えたにゃ。研究者たちは、思い出すときに呼ばれる場面の数が多いほど、取り合いが激しくなるから、と考えたにゃ。
2021年、オーストラリアの研究者たちが、この「ドアで忘れる」を、やり方を少し変えて確かめ直したにゃ。論文の題は、そのまま「ドアはいつも忘れさせるわけではない」にゃ。
頭にゴーグルをつけて、本物そっくりの部屋を移動したにゃ。ドアのあとで、はっきりした差は出なかったにゃ。
移動のあいだ、声に出して数を逆にかぞえてもらったにゃ。このときだけ、ドアをくぐったあとに、運んでいない物を「あった」と答える間違いが増えたにゃ。
区切りを越えて歩いても、越えなくても、覚えていた量に差は出なかったにゃ。
研究者たちは、ドアで忘れる効果は、実験のやり方が少し変わるだけで見えなくなるのかもしれない、と書いているにゃ。出るとしても、頭がほかのことで忙しいときに出やすいのかもしれないにゃ。
別の研究では、若い人と年配の人に画面の中の部屋をまわってもらったら、ドアのあとの落ち込みは、どちらも同じくらいだったにゃ。「なにしに来たんだっけ」は、年をとってからはじまるもの、というわけではなさそうにゃ。
2011年の実験室には、テーブルと箱しかなかったにゃ。運ぶのは積み木だけで、歩くあいだにほかの用事はない。
いまの家の中の行き来は、もう少しにぎやかにゃ。
本物の部屋の実験は、画面の実験より、もともと間違いが多かったにゃ。研究者たちは、一度に運ぶ積み木が6つと多かったからだろう、と書いているにゃ。
洗濯物を抱えて2階へ上がるついでに、充電器と、明日の上着と、ゴミ袋の替え。家の中の移動は、たいてい「ついで」をいくつも抱えているにゃ。その中のひとつが、階段の上でこぼれるのかもしれないにゃ。
オーストラリアの実験で差が出たのは、数を逆にかぞえながら移動したときだったにゃ。
お風呂がわくまであと何分、夕ごはんに足りない物がいくつ、家を出るまであと何分。家の中を歩くとき、頭はたいてい何かを数えているにゃ。「あれ?」が多い日は、ドアのせいというより、頭に載っている荷物が多い日なのかもしれないにゃ。
実験では、運ぶ物はわざと見えないようにしてあったにゃ。ふたをした箱の中か、画面の中では手に取ったとたんに消える。
家でなら、切りたい紙を持ってはさみを取りに行く、空の電池を持って替えを探しに行く、ということができるにゃ。用事を頭だけに持たせない、というやり方にゃ。研究で試された方法ではなく、ねこたちの思いつきだけど、目に見えるものは、ドアの向こうでも手の中に残っているにゃ。
この前の「あれ?」を
思い出してみるにゃ。
「なにしに来たんだっけ」となったとき、あなたはどうすることが多い?

3つ目の実験で、ねこたちが何度もグラフを見返したのは、元の部屋に戻っても、よくならなかったところにゃ。
戻れば、さっきの場面がそのままよみがえる。そう思って、だれもが廊下を引き返すにゃ。でも頭の中では、戻った部屋も、もう「さっきの場面」とは別の、新しい場面になっていたのかもしれないにゃ。
頭が毎日を場面に区切るのは、たぶん、ふだんは役に立っているにゃ。「あの日、あの部屋で」と思い出せるのも、区切りがあるからなのかもしれない。
ドアの向こうでこぼれる用事は、そのしくみの、ちいさな裏側なのかもしれないにゃ。
実験に来た大学生たちも、自分で運んだ箱の中身を、ドアの向こうでときどき取りこぼしていたにゃ。100回に5回ほどの「ときどき」にゃ。
この研究が見ていたのは、その「ときどき」のほうにゃ。もの忘れが増えて、暮らしの中で困ることが続くなら、それはドアの数では説明できない話にゃ。そこから先は、お医者さんにみてもらう話にゃ。
さっきの部屋と、
いまの部屋が、
用事を引っぱり合っている。
はさみを取りに行って、
台所で立ちつくすとき。
頭の中では、リビングの場面と
台所の場面が、
はさみの取り合いをしているのかもしれないにゃ。
にゃんたるも、ときどき
廊下のまんなかで急に座りこんで、
毛づくろいをはじめるにゃ。
なにしに来たのかは、
たぶん、本人ももう知らないにゃ。🐾
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