散歩を始めたのは、先生に言われたからだ。
「毎日じゃなくていいから、少し外を歩いてみてください」
最初の1ヶ月は、ほとんど外に出なかった。カーテンを開けるのがやっとだった。
2ヶ月目に、コンビニまで行けるようになった。往復5分。それだけで疲れて、帰って寝た。
3ヶ月目の今、30分くらい歩けるようになった。
今日は、いつもと違う道を歩いてみた。
住宅街を抜けると、小さい公園があった。知らなかった。2年住んでるのに。
ベンチに座った。平日の昼間の公園は空いてる。おじいさんが一人、鳩にパンをあげてた。小さい子を連れたお母さんが、砂場のところにいた。
平日の昼間に公園にいる大人は、みんなそれぞれの事情がある。おじいさんは退職した人かもしれない。お母さんは育休中かもしれない。私は休職中。
誰も私に「なんでここにいるの」とは聞かない。
それが、ありがたかった。
風が気持ちよかった。3月の風。まだ冷たいけど、冬とは違う冷たさ。
こういうことを感じられるようになったんだ、と思った。
休職し始めた頃は、何も感じなかった。天気も温度も、どうでもよかった。
今は、風が冷たいと「冷たいな」と思える。桜のつぼみを見て「もうすぐ咲くな」と思える。
それだけなんだけど。
帰り道、駅の前を通った。
改札から出てくる人たちを見た。スーツの人。リュックを背負った人。早足で歩いていく人。
3ヶ月前の私も、あの中にいた。
ふと、罪悪感が押し寄せた。
みんな働いてる。みんな頑張ってる。私は、公園のベンチに座ってた。
同期から、先週LINEが来てた。「元気? 無理しないでね」。返信したけど、何を書いていいか分からなくて、「ありがとう、ぼちぼちやってるよ」と送った。
ぼちぼち。便利な言葉。何も言ってないのに、何か言った気になれる。
同期は今も、私の分の仕事をしてくれてるんだろうか。もう引き継がれて、私のことなんか忘れてるかもしれない。
どっちが辛いか分からない。
家に帰って、靴を脱いだ。
冷蔵庫を開けて、麦茶を飲んだ。
今日は30分、歩けた。
それだけを、今日の成果にしよう。
明日は歩けないかもしれない。でも、今日歩けたことは消えない。
先生はそう言ってた。「できた日のことを覚えておいてくださいね」って。
覚えておく。3月の、風がちょっと冷たい日に、知らない公園で、ベンチに座ったこと。
それだけのことが、今の私には十分大きい。
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